GDP急成長の勢いは本物? ベトナムの生産拠点としての可能性、「賢いベトナム人」の労働者気質やインフラの状況を知ろう。
今回はベトナムの経済状況、生産拠点としてのポテンシャルを見ていきましょう。
旧フランス領インドシナから独立した3カ国であるベトナム、ラオス、カンボジアの中で、日本人が最も強くイメージを持つ国がベトナムではないでしょうか。近年は、世界遺産に登録されたハロン湾やベトナム料理、アジア雑貨といった観光資源が注目を集めています。
筆者がベトナムを「知った」のは、30年以上前、1冊の文庫本との出会いからです。それは、近藤紘一さんの『サイゴンから来た妻と娘』*という作品です。まだベトナム戦争が遠い過去ではなかった時代です。
* 初版発行は1978年、文庫は1981年に発行されている。近藤紘一氏はベトナム戦争の渦中でベトナム人女性と結婚している。
1980年代、日本ではまだまだ欧米志向が強かった時代です。いまのように、アジア圏が注目される前のことであり、近藤紘一さんの書かれたインドシナ関連の書籍は、当時とても貴重でした。現在でも、東南アジア各国の本屋さんに行くと、近藤紘一さんの著作は入手可能です。東南アジアの在留邦人にいまも愛読されている証左でしょう。
ベトナムの地図を見て、最初に気付くことは、非常に長い海外線です。大陸にある国にとって、長い海外線を有することは、漁業・水産業だけでなく、さまざまな分野で優位性をもたらします。旧フランス領インドシアから独立した他の2カ国(カンボジア・ラオス)と比べるとその差は歴然です。カンボジアはまだしも、ラオスに至っては海に接していない内陸国で、どこにモノを運ぶにしても、他国を経由しなくてはなりません。
このあたりに、歴史上長い間この地域の大国として君臨してきたベトナムの持つ実力の一片があるのかもしれません。
しかし、ベトナム戦争後のベトナムは順調に成長してきたわけではありません。ベトナム戦争に勝ち、国土開放を行った北ベトナム政府(当時)が敷いた社会主義国路線は、相当な混迷をもたらしました。その後、社会主義路線の見直しが行われ、1986年の「ドイモイ(刷新)政策」による市場経済の導入以降、やっと何とか国内経済の成長が始ったのです。
2008年に発生したリーマンショックの影響で、東南アジア諸国が軒並みマイナス成長となる中、ベトナムは安定成長を維持しました(まあ、国内経済規模が小さく、国際金融に組み込まれていなかったことが幸いしたという見方もあるのですが……)。
この数年、5〜6%台のGDP(国内総生産)成長率で推移しているベトナムですが、実はインフレも高い水準で推移しています。2011年にはアジアで最悪となる前年比19%のインフレ率を記録しています。
経済成長を優先させた結果、インフレの抑え込みに失敗したのでしょうが、賃金の上昇が、物価上昇に追い付かないことで国内消費の低迷を招き、今後の経済成長そのものに大きな影響を与えるという皮肉な結果になっています。
こうした社会変化は、ベトナムに進出した外資系企業にも重大な影響を与えています。安価な労働力、勤勉な国民性、人口&平均年齢の低さが、ベトナム投資の魅力であったのですが、その中でも、安価な労働力は、都市部&近郊では既に過去のものになっています。特に、人件費が急騰した中国華南地域に見切りを付け、ベトナムに進出した製造業にとっては、この急激な変化はかなり大きな誤算であったと推測されます。
ベトナム人の勤勉性は、この地域では非常にまれな気質といえます。ベトナム人はいろいろな意味で「賢い」ということです。
筆者の私見ですが、ベトナム人には中国人と共通する志向があるように思えます。いい意味では、向上心が高く、勤勉で努力家なのですが、それは同時に、強い競争意識、金銭への強い要求といった若干ネガティブな側面につながっています。
短期間に国内経済が急激に成長し、かつ労働人口年齢の低いベトナムでは、周辺諸国以上に雇用問題が深刻化しています。優秀な人材ほど、転職機会(=収入増)が増加しています。本来、ある程度の期間にわたって就業することで習得できることもあるはずですが、その前に転職を繰り返すケースが多いのです。人材育成の中長期的観点からは、将来、大きな問題となるおそれがあると思います。
ベトナムの日本商工会議所の集計では、ベトナム全体での日系企業数は約1000社(2010年時点)。加えて、商工会議所に所属していない企業を含めると1500社に上るといわれています。そして、その大半が、この4〜5年で進出してきした企業です。進出地域としては、北部ハノイと南部ホーチミンに大別され、この両地域では進出企業の傾向が大きく異なります。外国企業にとって古くからの進出先であり、どちらかといえば、中規模の事業会社が中心である南部ホーチミンに対し、北部ハノイは大手製造業の進出、また、これに伴う関連部品メーカーの進出が顕著です。
企業数統計だけ見ると、順調な増加を示しているベトナムですが、進出企業にはある特徴があります。それは、いずれも比較的事業規模が小さいことです。ベトナム工場のポジションとしては、成長性は高いが現状では中規模な国内市場向けの製造拠点、もしくは周辺国にある主力工場を補完する第2工場です。例えば、中国やタイで操業している主力工場のリスクヘッジとして、中規模の製造拠点がベトナムに設置されるのです。
以降では、ベトナムに主力工場が置かれない理由を考察してみます。現在のベトナムが抱える問題点といえるかもしれません。
ドイモイ政策により市場開放されたベトナムですが、政治体制は共産党の1党独裁です。国会議員が国民の直接投票で選出されるという点では、欧米や日本に近いのかもしれません。しかし、有事の際、ベトナム政府がどのようなかじ取りをするのかはまた別の問題です。また、官僚組織が強いベトナムでは、官公庁の低いサービスレベル、非効率な業務運営が問題といえましょう。
外国投資を呼び込み、さらなる工業化を進めることで経済成長を目指すのであれば、根本的なインフラの整備が必要です。電気水道、通信、道路、港湾といった産業基盤の整備と充実が急務です。
しかし、現段階ではこうした取り組みに勢いはありません。
このままでは産業インフラがさらなる経済成長の「制約条件」となる可能性が高いのではないかと考えられます。
前述の通り、ベトナムでは優秀な人材確保が年々難しくなっています。これからの発展を目指す国にとって、優秀な人材の育成は絶対条件です。また、進出企業にとっては、安定した人材の確保ができなくては、投資のアクセルを踏めません。民間企業レベルではなく、政府主導の包括的な措置が必要なように感じられます。
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近年のベトナムは、周辺の発展途上国がたどってきた道を、さらに短い時間で走ってきたといえるでしょう。「先人の知恵」を学びながら進める後発国の優位性もありますが、現時点では、あまりに短い時間での発展がもたらした矛盾・不整合が顕在化しつつあるのではないでしょうか。
これから先は、周辺国が直面しつつある「廉価な労働力を基盤にした工業化の限界」を越える新しいモデルの提示が、ベトナム政府に求められているのではないでしょか。個人的には、「賢いベトナム人」が何を打ち出すのか楽しみなところであります。
(株)DATA COLLECTION SYSTEMS代表取締役 栗田 巧(くりた たくみ)
1995年 Data Collection Systems (Malaysia) Sdn Bhd設立
2003年 Data Collection Systems Thailand) Co., Ltd.設立
2006年 Data Collection Systems (China)設立
2010年 Asprova Asia Sdn Bhd設立- アスプローバ(株)との合弁会社
1992年より2008年までの16年間マレーシア在住
独立系中堅・中小企業の海外展開が進んでいます。「海外生産」コーナーでは、東アジア、ASEANを中心に、市場動向や商習慣、政治、風習などを、現地レポートで紹介しています。併せてご覧ください。
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