米軍撤退後の国内市場に課題を持つフィリピン。語学力のアドバンテージを生かした労働力輸出大国の可能性を探る。
今回はフィリピンについて紹介しますが、その前に、少しだけタイ洪水の続報をお伝えします。本稿を執筆している2011年12月15日の段階で、主要工業団地の全てで排水作業が終わり、復興に向けた取り組みが始まっています。
日本のニュースで繰り返し報道されたロジャナ工業団地のホンダ四輪工場では、マスコミを招いて、水没した完成車の廃棄を行うようです。タイ国内では、ホンダが水没した車を洗浄して販売するのではという風評が広がっていました。こうした風評を打ち消すとともに、「ホンダイメージ」を保つための方策でしょう。東南アジア市場での「ホンダイメージ」は国内市場よりはるかに高いものがあります。日本車の中では断トツでしょう。「買いたい車ランキング」では、常に上位を占めるのがホンダ車です。
さて、復興を目指している企業で頭を悩ませているのは、2012年度の火災保険契約です。今回の洪水被害は火災保険で補償されるのですが、2012年度以降の保険料率の上昇は避けられません。最悪の場合、今後の洪水被害の再発は免責となるケースもあり得るようです。
今回の洪水は50年に1度といわれていますが、2012年以降に再発しない保証はありません。今回被害に遭った企業では、
(1)同じ場所で工場再興
(2)同じ場所で生産活動を再開するが、できるだけ早い時期に工場移転
(3)新しい場所で工場再興
の3通りが検討されています。
正直なところ、リスクヘッジの観点からは、洪水リスクの低い地域での復興が望まれるのでしょうが、事業規模の小さな企業では資金の問題が、事業規模の大きな会社では、代替地の確保、大量の従業員確保と、解決しなければならない課題が多く、簡単に工場移転というわけにはいかないようです。
いまさらながら、海外生産シフトにおけるリスクマネジメント、特にカントリーリスクの重要性を実感させられます。
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さて、ここからフィリピンのお話を始めます。
2011年に就航したばかりの全日空を利用して、2011年10月にマニラを訪問しました。ターミナルに着き、飛行機から降りて驚いたのは、全く見覚えのない場所であったことです。実際はターミナル3に到着していたのですが、このターミナルには複雑ないきさつがあります。
フィリピンの玄関口であるニノイ・アキノ国際空港*には、フィリピン航空専用のターミナル2とそれ以外の航空会社が使用するターミナル1があります。このターミナル1は、1983年に亡命先のアメリカから帰国したベニグノ・アキノ氏が暗殺されたことで有名です。しかし、開港から既に30年以上が経ち、さすがに国際線ターミナルとしては老朽化が進んでいます。そこで新たに建設されたのが、今回到着したターミナル3です。日本政府からのODA援助の下、竹中工務店による建設工事は何年も前に完了しているのですが、フィリピン政府が耐震構造に問題があるとクレームを付け、工事代金を支払われないため、正式な引き渡しが行われていません。こうして、せっかく完成した空港ターミナルが、何年にもわたって使用されないという異常な事態になっています。海外経験が長く、大抵のことには動じない筆者ですが、この一連の騒動にはさすがにあぜんとします。
ちなみに、なぜか数年前からLCC(Low-Cost-Career)であるセブパシフィック航空がターミナル3の使用を始めました。そして、2011年になって全日空がこれに続いてターミナル3を利用し始めています。
*ニノイ・アキノ国際空港 旧・マニラ国際空港。現在はこの場所で暗殺されたベニグノ・アキノ・ジュニア上院議員の愛称である「ニノイ」の名前を冠している。
さて、筆者にとっては約1年半ぶりのマニラですが、東南アジアの他都市に比べると、若干の遅れはありますが、それなりに開発が進んでいます。ビジネス中心地であるマカティー市には、他の東南アジア都市と変わらぬ5つ星ホテルやショッピングセンターが林立し、スマートフォンを片手に景気の良さそうな人達が行き交っています。
ちなみに、マニラ首都圏には多くの「市」が存在します。マカティー市もその1つですが、日本の感覚だと「区」程度の地域が「市」として機能しています。各市には市長と市議会が存在し、1つの行政単位となっています。地元の人達は、Major League(メジャーリーグ)ならぬMayor(市長) Leagueだとやゆしています。
フィリピンには、大きく分けて、マニラ市近郊とセブ島に、大規模な工業団地があります。日系製造業の進出企業数は400社強です。地球儀を見ていただけると分かるのですが、フィリピンは他の東南アジア諸国と大きく離れています。シンガポール・マレーシア辺りからだと、飛行機で4時間弱かかります(ちなみに成田〜マニラも4時間ほどの飛行時間)。こうした地理的条件を背景に、フィリピンの生産拠点は国内市場向けのセットアップが多く、他の東南アジア諸国と比べ、生産規模が小さい傾向があります。
かつてのフィリピン経済は、米軍基地に依存し、アメリカ経済の強い影響下にありました。しかし、1992年の米軍撤退以降は、独自の路線を歩んでいます。しかし、地理的なハンディキャップに加え、繰り返されるクーデターや政権交代、社会インフラの整備遅れなどがあり、他の東南アジア諸国のように、外国からの直接投資をテコにした国内経済の成長は進んでいません。東南アジア地域では、外国からの投資をうまく引き込んだ国が大きな発展と遂げています。1990年代のマレーシア(電気電子)、2000年代のタイ(自動車)がその代表例です。
ちなみに、フィリピンの電気料金は東南アジアで一番高いといわれています。理由は電気料金をちゃんと支払う人数が少ないからです。マニラから少し郊外に出ると、電信柱から無数の電線が垂れ下がっているのを見掛けます。これは、周辺の住民が電信柱から盗電しているのです。統計数値はありませんが、フィリピンの貧富バランスからすると、何十人もが盗電した電気料金を、お金のある1人が負担している構図でしょう。
海外生産拠点では、製造コストに加え、物流コストも重要な要因です。せっかく低コストで製造活動が完結したとしても、市場への輸送コストが掛かっては意味がありません。現在の海外生産拠点の重要な役割である「地域市場の供給拠点」という観点からは、残念ながら、フィリピンには大きなハンディキャップがあります。つまり、国内経済規模が小さいこと、さらに、東南アジア主要市場へ距離があることです。よって、フィリピンにこうした負の条件をしのぐ正の条件がそろわないと、外国からの投資は増加しないと思われます。
長期間にわたって、アメリカの影響下にあったフィリピンでは、他の東南アジア諸国にない長所があります。英語力です。実は、フィリピンは多部族かつ多言語の国家です。タガログ語が一応の公用語になっていますが、これは首都であるマニラ近郊の言語といえます。
群島国家であるフィリピンは、島ごとに異なる部族が存在し、独自の言語を母語として話します。しかし、アメリカの残した教育制度は、英語力の向上に大きく寄与しています。他の東南アジア諸国では、間違いなく英語を話せない貧困層の人たちでもそれなりの英語を話します。
この英語力が生かされているのが「海外出稼ぎ」というのは皮肉なことです。興業ビザの発給制限から日本に来るフィリピン人女性は大きく減少したといわれていますが、男女を問わず多くのフィリピン人が、現在も海外で就業しています。男性の場合、船員や工事現場の作業員、女性の場合はメイドというのが一般的なパターンでしょうか。世界中のさまざまな職場で、フィリピン人が迎えられているのは「英語が話せるから」であることに間違いありません。
少し前の統計ですが、2007年発行のOECD Fact Bookによると、こうした出稼ぎ者の仕送りは、フィリピンGDPの13.8%を占めると報告されています。絶対額的には、メキシコ、インドが210億ドル以上とフィリピンの136億ドルを上回っていますが、対GDP比率の大きさも加味するとフィリピンが世界最大の出稼ぎ国であるといえます。
国立大学を卒業しても、国内に就職口がないため、多くの優秀な人材が海外に流出しています。本来であれば、国内経済を発展させ、国内の就業機会を整備するのが、政府の役割なのでしょうが、発展途上国が、外資の力を借りずに国内経済を発展させるのは非常に難しいことです。
海外生産拠点としては、(改善余地はあるとしても)決して悪くない環境は整っています。国が発展するのに必要な「人」はそろっているのがフィリピンです。後はフィリピン政府によるかじ取り次第なのですが……。
マルコス大統領が政権を担っていた1970年代、良くも悪くもフィリピンは東南アジアの大国でした。アメリカを中心に諸外国からの投資を引き出し、年間成長率は6〜7%を達成していた時期です。2010年6月、このマルコス政権崩壊のきっかけとなったベニグノ・アキノ氏の息子であるベニグノ・アキノ3世が大統領に就任しました。母親であるコラソン・アキノ元大統領も成し遂げられなかった国内経済の発展に向け期待が高まるところです。
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次回は、「東南アジアの先進国シンガポール」についてお伝えします。
(株)DATA COLLECTION SYSTEMS代表取締役 栗田 巧(くりた たくみ)
1995年 Data Collection Systems (Malaysia) Sdn Bhd設立
2003年 Data Collection Systems Thailand) Co., Ltd.設立
2006年 Data Collection Systems (China)設立
2010年 Asprova Asia Sdn Bhd設立- アスプローバ(株)との合弁会社
1992年より2008年までの16年間マレーシア在住
独立系中堅・中小企業の海外展開が進んでいます。「海外生産」コーナーでは、東アジア、ASEANを中心に、市場動向や商習慣、政治、風習などを、現地レポートで紹介しています。併せてご覧ください。
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