マハティール時代から産業育成に注力してきたマレーシア。歴史的・文化的にも特異なポジションのマレーシアは、モノづくりの拠点に適している?
今回はまず、次のリストからご覧いただきましょう。
日本 | ? | |
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1人あたりの名目GDP | US$42820 | US$8423 |
携帯電話普及率 | 90% | 110% |
PC普及率 | 85% | 39% |
自動車普及率 | 59% | 30% |
「?」の項目は、もちろん本稿で紹介する国、マレーシアのことです。携帯電話普及率の高さに驚かれたのではないでしょうか? 右側の国がマレーシアだと当てられる方は少ないと思います。
日本人にとって、マレーシアは、東南アジアの中でもイメージしにくい国の1つだと思います。筆者は1992〜2008年の16年間マレーシアに在住していました。その間、数多くの出張者、友人の来訪がありましたが、多くの方から、「マレーシアって都会なんですね」「もっとジャングルみたいな所だと思っていました」という感想をよく聞きました。
近年では、長期滞在目的の「マレーシア・マイ・セカンドホーム(MM2H)プログラム」*の影響で、マレーシアに来られる方が増えています。逆にマレーシアの日系企業で働く日本人駐在員数は減少傾向にあるのですが、在留邦人全体は増加傾向という不思議な現象が起きているようです。
確かに、マレーシアは外国人の長期滞在に適している国といえます。際立った個性はないのですが、全ての面でバランスが取れている国です。日本企業の現地駐在員の奥さんが自分で車を運転できるほどの治安レベルを維持しており、また、伊勢丹、イオンなどの日系デパート・スーパーマーケットがあり、日本の食材が日本国内と大差ない価格で容易に入手可能(食品への輸入関税率が低いので)です。さらに、生活費用全般(住居、食糧、水道光熱、ガソリン代、その他)が比較的廉価ですし、都市部では英語使用率が非常に高く、コミュニケーションが容易であるなどの条件が整っているため、日本人に限らず、外国人が居住するには、東南アジアで最も条件の整った国かもしれません。
*マレーシア・マイ・セカンドホーム(MM2H)プログラム マレーシア政府が実施している長期滞在向けビザ発行プログラム。一定の預金額などの条件を持つ外国人向けにビザを発行している。
日本の製造業がマレーシアへの本格的な進出を始めたのは1980年代です。当時のマハティール首相の唱えるLook East政策*も日系企業のマレーシア進出を後押ししたのかもしれません。1980年代半ばには、当時、三菱自動車が資本参加して設立したPROTON社から東南アジア初となる国産車「プロトンサガ」*が発売され、本格的なモータリゼーションが始まりました。
1990年代になると、電気・電子産業を中心にしたマレーシアへの直接投資が急増しました。松下電器産業(現・パナソニック)は、当時30社近い現地法人(開発・製造・販売)を保有し、マレーシア国内経済に大きな影響力を持つといわれたほどです。ほかにもテレビ、ビデオなどのオーディオ・ビジュアル製品を中心に、家電品の一大生産拠点が構築されました。当時の製造モデルは再輸出型です。保税扱いで部品・部材を国内外から調達し、マレーシア工場で組み立てた製品を欧米・日本などの先進国に再輸出するモデルです。
*Look East政策 簡単にいえば、日本・韓国に学び、国の発展を目指す政策。
*プロトンサガ 1985年に三菱ランサーフィオーレをベースとして開発されたマレーシア初の国産自動車。PROTON社には、この他、三菱商事、マレーシア重工業公社(HICOM)が出資している。三菱自動車との資本関係は一時解消されていたが、近年再び協力関係を築いている。
*保税 マレーシアでは、一部に関税の掛からない自由地域(FZ)が設定されており、FZ内に置かれる製品には関税が免除される。FZが近くにない場合は税関局に保税工場(LMW)の申請を行うことでFZ同様の関税時免除措置を受けることができる。条件は間接輸出も含め、80%以上を輸出することが承認の条件となっている(ジェトロ、海外ビジネス情報>マレーシア>関税制度のWebページ参照)
しかし、2000年代になると、様相は一変します。“世界の工場”中国の台頭です。この頃から経済分野で開放政策を採った中国への製造拠点設立、生産シフトが増加しました。背景には、外国資本持分への制約が撤廃され、100%外資での現地法人登記が可能になったことが大きく影響しているのでしょう。また、この変化には、2つの要因が大きく影響していると思います。
日本企業の得意な「廉価な労働力を利用した大量生産モデル」には、常に廉価な労働力の確保が必要です。1980年代に始まった韓国・台湾への生産シフトは、90年代に東南アジアへ移行し、そして、開放政策の実施された中国へ向かいました。昨今では、中国国内の労働賃金上昇、特に沿岸部では労働力不足が顕在化し、中国のカントリーリスクのヘッジを含め、東南アジアを再評価する動きが増えているようです。
経済開放政策は、国内消費市場の拡大という結果をもたらしました。それまで再輸出型の製造モデルが中心だった製造業の生産シフトにも大きな機転が訪れました。地域市場への供給拠点としての役割です。このあたりが13億人という人口を抱える中国が一人勝ちした背景だといえるでしょう。
話をマレーシアに戻しましょう。最新の統計でもマレーシアの人口は2791万人しかありません。この数字は、インドネシアの2億3251万人とは比較にならないのはもちろん、ベトナムの8902万人、ミャンマーの5049万人よりも少ない数字です。国内人口=国内市場規模とすると、マレーシアは東南アジアでも有数の「小国」となってしまいます。
一方、マレーシアの日系企業数は約800社、1位のタイ約1400社に続く2番目のポジションです。マレーシアにおける国内人口と進出企業数の相関関係は簡単です。一言でいえば、労働力の不足です。まだ、マレーシアへの生産シフトが興隆であった1990年代中頃には、既に労働力不足、労働賃金の上昇が問題視され始めていました。
対応策として、マレーシア政府は、労働集約型の製造拠点から付加価値のある製造拠点への構造シフトを促進する優遇策を打ち出しましたが、残念ながら、あまり効果はなかったようです。また、製造業以外でも、東南アジアの情報技術ハブを唱えたMSC(マルチメディア・スーパー・コリドー:Multimedia Super Corridor)計画*も打ち出されましたが、当初のもくろみ通りに進んでいるとはいえません。
*MSC計画 2020年に先進国入りすることを目指すという国家ビジョン「VISION2020」を達成するため、これまでマレーシア経済をけん引してきた製造業と併せて、新たにIT産業を中心とするサービス・知識集約型産業を育成することを目標としている。佐々木一光積「マレーシアにおけるマルチメディア産業と中小IT企業の進出の可能性」(「中小企業国際化支援レポート」参照)
独立系中堅・中小企業の海外展開が進んでいます。「海外生産」コーナーでは、東アジア、ASEANを中心に、市場動向や商習慣、政治、風習などを、現地レポートで紹介しています。併せてご覧ください。
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