ASEAN内の製造拠点に「タイプラスワン」の動きが高まる中、注目度が高まっているのがカンボジアだ。製造業の新たな拠点進出先としてのカンボジアはどういう価値を秘め、どういうリスクを抱えているのか。ASEAN事情に詳しい筆者が解説する。
製造業にとって役立つASEANの現状を取り上げる連載「知っておきたいASEAN事情」ですが、前回の「チャイナプラスワンだけじゃない! 『タイプラスワン戦略』をご存じですか?」から「タイプラスワン」戦略と、その候補となる国々について取り上げています。
タイプラスワン戦略とはASEANの生産拠点で広がる考えで、ASEANの中心基地であるタイだけで事業を完結させることがリスクになりつつあるため、タイ以外の拠点を設けようという動きや戦略のことです。
今回取り上げる国はカンボジアです。日本人の中で、東南アジアの白紙地図を見て、カンボジアの国土を正しく指させる方は少ないでしょう。
筆者がカンボジアを深く知るきっかけになったのは、(ベトナム編と同じなのですが)近藤紘一さんの著作である「戦火と混迷の日々」です。
1990年頃だったでしょうか。近藤紘一さんの著書を読破した中で出会ったのが、それまでの「妻と娘シリーズ」のようなほのぼのとした雰囲気とは異なり、ジャーナリスト視点で書かれた骨太なノンフィクション「戦火と混迷の日々」でした。ポル・ポト政権時代、プノンペンで暮らしていた日本人女性が、大下方政策に巻き込まれ、家族を失い、日本に生還を果たすまでの実話を軸に、当時のインドシナ問題を掘り下げた作品です。
ここでちょっと私見を述べさせてください。学校で習う世界史、日本史のカリキュラムを否定するわけではありませんが、東南アジアの近現代史をほとんどカバーしない内容には疑問を感じます。隣人である東南アジア諸国を正しく理解するには、東南アジア近現代史をひも解くことも大切だと思います。東南アジアの「今日」を正しく理解するには、少なくとも、「昨日」くらいは知っておく必要があるということです。
かつてはクメール王朝の栄華を誇ったカンボジアですが、フランスからの独立後は苦難の歴史でした。ベトナム戦争そのままに、アメリカと南北ベトナムの介入から、カンボジアは内戦状態に陥りました。一度は、親米政権が成立しますが、その反動で台頭したのが極端な共産主義を掲げるクメール・ルージュのポル・ポト政権です。1975〜1979年の4年弱のポル・ポト政権期間に拷問や飢餓などで100万とも200万ともいわれる死者が出たとされています。当時の総人口の20%前後に相当するすさまじい数字です。現在でも、大量虐殺を行った場所「キリング・フィールド」はカンボジア各地に多く残っています。
その後、カンボジアでは、国連主導下で民主選挙が実施され、1998年に選出されたフン・セン首相は、現在まで続く安定政権となっています。このフン・セン首相は、タイから国外逃亡中のタクシン・チナワット元首相をカンボジア政府の経済顧問に迎え入れ、隣国タイとの関係を悪化させてしまいました。タクシン元首相とは個人的に親密な関係であったといわれていますが、大きく立ち遅れた国内経済を発展させることを優先させる手段であったのかもしれません。
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