いろいろな人と話していると、技術翻訳には非常に大きな誤解があるようです。その最たるものが、「翻訳は、英語の力。特に、英文解釈や読解能力が重要なんでしょう?」というものです。これは全く正しくありません。翻訳者に求められる英語の読解力は、高校1年生レベルで十分で、中には「中学3年生レベルでよい」という人もいるくらいです。翻訳は、基本的に「日本語との格闘であり、日本語の能力が全て」なのです。
入試の英文解釈と、ビジネスとしての翻訳は全く別物です。例えば、野球小説の1場面として、ホームランを打ったバッターにインタビューしたシーンがあったとします。
“When I hit the ball, I thought it would go beyond the fence.”
この英文を、「私がその球を打ったとき、私はその球がフェンスの向こうへ行くと思った」と訳すと、英文解釈の試験では100点をもらえます。しかし、ビジネス翻訳では0点です。受付で交通費をもらって、「どうぞお帰りください」の口です。
技術翻訳でも、こんな翻訳が非常に多く見られます。プロの翻訳家は、「打った瞬間、入ったと思った」と訳します。この2つをじっくり比較してください。
アマチュア:私がその球を打ったとき、私はその球がフェンスの向こうへ行くと思った。
プロ:打った瞬間、入ったと思った。
この違いがアマチュアとプロの差であり、この差に、お金を払っているのです。上記で述べた「日本語との格闘」の意味を感じていただければ幸いです。
この2つを比べると、面白いことに気が付きます。それは、「優れた翻訳文は、原文よりも文字数が大幅に少ない」ということです。一種の「ソフトウェアメトリクス」ですね。意味不明な翻訳文は、例外なく、原文よりも文字数が増えます(英文は1バイト文字、日本語は2バイト文字なので、単純に長さや行数を比較するだけで十分です)。原文より、20%以上多い翻訳文は、読むまでもなく悪訳文です。ボストンで翻訳応募者の訳文の質を評価していたとき、まず、私は訳文の長さをチェックしました。原文が50行、訳文が70行だったら、読むに値しないのでゴミ箱へ直行のパターンです(もちろん本当は読みましたが、最後まで読むには、携帯電話のソフトウェアを1人で開発するほどの忍耐力が必要です)。理解しやすく、読みやすい訳文であるためには、文章が引き締まっていて、日本語として不自然さがないことが必要条件です。技術翻訳の場合、これに加え、技術力が必要となります。
普段、書いている文章よりも訳文を良く書くことはできません。別の言い方をすれば、技術翻訳の能力を磨く近道は、通常の日本語の文章力をブラッシュアップすること、あるいは、分かりやすい日本語を書くよう常に心掛けることです。
次回は、技術翻訳について、例を挙げながらもう一歩踏み込んでいきます。宿題として、以下の英文(あるソフトウェアパッケージの操作手順書の一部とお考えください)を日本語に訳してください。よくある英文ですが、簡単ではありませんよ(次回に続く)。
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