ブックスピーカーは、初めに実売価格を2万円程度としました。また大きなメーカーのような体裁はとらずに、「極小な企業のマイクロモノづくり」であることを前面に出し、ブログやTwitter、Facebook、mixiなどのソーシャルネットワークを使った積極的な情報発信をしながら、Amazonを利用したネット販売に限定した方法で、2010年5月にブックスピーカー「BS-200」「BS-100」「BS-000」の販売を開始。
その後は徐々に購入者が現れ、少しずつですが、大和氏と直接面識がないような人が、口コミをきっかけに商品を買ってくれるようになってきたとのことです。
大和氏はこんなことを言っています。「実は、物がほぼ完成してきた2010年4月の段階で、どこで販売すべきか結論が出ていませんでした」。
商工会議所のネット販売のセミナーに出て、「ネット販売サービスを始めるには、初期費用数十万円と月額数万円の固定費が必要」との話を聞いたり、ネット検索で月額数百円の手数料のサービスを調べたりしたそうですが、たまたま偶然Amazonが、フルフィルメントサービス、つまり「在庫を持って出荷までを代行してくれるサービス」のキャンペーンをしていて、幸運なことにその月額固定費を1年間無料にしてもらうことができたのです。
それもAmazonに問い合わせた月の限定キャンペーンだったとのことです。こうして満を持して、ブログとTwitterで発売を宣言したその15分後には、Twitterで「注文しました」とのツイートが飛び込んできて、またびっくり。まさにそういう時代になった、ということでしょうか。
Amazonに出店できたものの、その先、話はそう簡単に進みませんでした。例えばAmazon内で「ポータブルスピーカー」と検索すると、検索結果の16ページ目の最後の方に、大和氏のブックスピーカーがやっと出てくる状態。そんな中、どうやって、その存在を知らせることができるのか……。それは、いまでも悩ましい課題とのことです。
幸いブックスピーカーは、それまでに好意的に評価してくれた人たちを中心にして売れていき、2010年8月ぐらいで在庫はなくなり、急きょ材料の磁石の手配に掛かることになりました。
Amazonの在庫はあまり動かなかったとのことですが、2010年9月あたりから少し動き始め、「Bookspeaker」で検索すると、たくさんのアフィリエイターがブックスピーカーを取り上げ、自分の知らないサイトでブックスピーカーが販売されているのを見て、まさに“現代”を体感します。
それ以前は、経費が掛からないようにと、フリーのソフトで苦労して自前のネットショップを立ち上げていた時期もありましたが、それとはまったく違う感覚だと大和氏は感じたとのことです。
大和氏が知らないうちに、たくさんのアフィリエイトサイトが立ち上がっていて、アフィリエイターたちが自社製品を宣伝してくれる、という現象を目の当たりして、「Amazonを使うとこうなるのか」と、ネット販売の仕組みが非常に興味深いものだと大和氏は実感したとのこと。
そのころ、また偶然にも、「Google アドワーズ」(商品やサービスがGoogleで検索された際、その広告を検索結果に表示するサービス)のオファーが飛び込んできました。もっと知られる必要があると感じていた大和氏は、早速アドワーズを申し込み、翌日からネット広告を出しました。その後Amazonでの販売が徐々に出始め手売りが一巡した後、の売り上げに貢献し始め、月に20台以上の販売実績が出てきたとのことです。
その後、大和氏は地域のネットワークがさらに広がるビジネスコンテストへの参加を決意しました。
考えた末に、ブックスピーカーの使い方の1つとして推奨してきた「枕の下に置いて使う」という方法をさらに発展させ、磐田市にある寝具メーカー 菊屋とコラボレーションして商品開発し、ビジネスコンテストにエントリーしました。その後、多くの反響があり、「デザイン賞」と「ベンチャービジネス・チャレンジ賞」を受賞することができたのです。
「とにかく露出回数を増やすこと、ネットでも展示会でもなるべく多くの人に知ってもらうことが大切です」と、大和氏はいまも精力的に外へ出かけて行き、PRしています。
「ポケットに入って持ち運べる」ということもマイクロモノづくりで扱うものという条件としては有効といえるでしょう。
この商品は「おとみん」という名前が付いていますが、「良い音で安眠を!」という意味だということです。
大和氏は、ラジオ少年のころにヒントを得て、RSSとのかかわりで確信した、「音像定位と自然な音場が、安眠に必要」という独自の考えを持っています。それを再現するのに、平板スピーカーが最適だと、いまも考えています。
実際に筆者も、自分で購入したブックスピーカーを自宅の枕の中に入れて、環境音源を聴きながら就寝してみましたが、あっという間に寝てしまい、目覚めた後も明らかに疲れが少なかったので、しばらく安眠のために続けてみようと思います。後は、自分の楽しみとして音源をいろいろと変えてみます。
この製品で最も苦労したポイントは、「自社製品の存在をいかに世の中に知ってもらうか?」と大和氏。
これは毎回マイクロモノづくりを紹介する中で述べていることですが、マイクロモノづくりでは以下のことが重要になってきます。
実は第1回でお伝えした「ユビタマゴ」の事例などでも分かるように、自社製品を世の中の人に知ってもらうためには、一定の「広告費用」を掛ける必要があります。モノづくりだけやっていた場合には、ほとんど必要ではなかったことです。
この広告費用は、インターネットの普及以前は、本格的にやろうとすると、新聞や雑誌、テレビなどに広告出稿することになり、膨大な金額になっていました。しかしいまは、Google アドワーズのようなCPC広告や、最近注目が高まっているFacebookなどのソーシャルメディアを活用することで、お金をそれほど掛けなくても、知恵を絞れば、宣伝費をかなり抑えることができるようになってきました。
しかし、費用面ではかなり抑えることができるのですが、その分、企画者の広告・告知戦略に関してのスキルが求められることになってきています。特にこれからのマイクロモノづくりは、個人の「こんなの欲しかった」という潜在ニーズを掘り起こすことが必要になってきます。Facebookのような個人の趣味・志向に対して効率的に発掘できるツールの活用は、今後のマイクロモノづくりでは、絶対不可欠となってくるでしょう。
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今回のように、大企業を退職して、自分が自ら作りたいものを作り、それを販売するというマイクロモノづくり起業家の方々も、今回紹介した大和氏のように徐々に増えていくだろうと思います。
そのときに大和氏のようなマイクロモノづくりの先人たちが体験したことを、後世の後輩に伝えてマイクロモノづくりを支援することは非常に重要になってくると考えています。われわれもできる限りマイクロモノづくりの記録を残していこうと考えています。
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三木 康司(みき こうじ)
1968年生まれ。enmono 代表取締役。「マイクロモノづくり」の提唱者、啓蒙家。大学卒業後、富士通に入社、その後インターネットを活用した経営を学ぶため、慶應義塾大学に進学(藤沢キャンパス)。博士課程の研究途中で、中小企業支援会社のNCネットワークと知り合い、日本における中小製造業支援の必要性を強烈に感じ同社へ入社。同社にて技術担当役員を務めた後、2010年11月、「マイクロモノづくり」のコンセプトを広めるためenmonoを創業。
「マイクロモノづくり」の啓蒙活動を通じ、最終製品に日本の町工場の持つ強みをどのように落とし込むのかということに注力し、日々活動中。インターネット創生期からWebを使った製造業を支援する活動も行ってきたWeb PRの専門家である。「大日本モノづくり党」(Facebook グループ)党首。
Twitterアカウント:@mikikouj
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