マイクロモノづくりにおいて、人との「ご縁」つなげるのは、「ワクワク」であり、論理的なことではない。もっとワクワクする気持ちに素直になろう。
われわれenmonoは、まさに人の「ご縁(en)」で「モノづくり(mono)」をする会社である。そもそも、「ご縁」とは一体何なのか? 抽象的なので、読者の皆さんそれぞれで受け止め方が異なるとは思うが、われわれは“意図せず”“無意識的に”ご縁はつながるものだという認識だ。努力してつなごうとするものではない。「お知り合いになりたいなぁ」と思っていれば、偶然、知り合いになれる。それがご縁だと思っている。
こういうことが、2009年の起業以来何度も起こっているので、出会った瞬間に何となく、「ご縁がつながる」あるいは「ご縁がつながらない」というような嗅覚のようなものが身に付いてきた。それは、直接お会いするまでもなく、SNSなどでの発言からも多少は伺い知ることもできる。
われわれが「ご縁を感じる人」と「ご縁を感じない人」について、以下のように表してみた。とはいえ実際は、言葉としてなかなか表現しづらいことであるが……(こちらも、あくまでわれわれの主観的考えであって、他意はない)。
「人と会う」には、交通機関などを利用して出掛けていくことになる。そして、会って話をする。「コミュニケーションを取る」ということには時間が費やされる、つまりコストが発生している。金銭だけではなく、時間を費やすことも、投資だといえる。
「気軽に相談」とか、「情報交換」とか言うけれども、そこには相手が存在していて、自分自身もそれに時間を費やしていることを理解しなくてはならない。一方的に話を聞くだけでは、相手にそれ相応のコストに見合った何かの価値を提供しなくては、“2度目”はないだろう。それをはなから期待せず、コンタクトを片っ端からするというのもありだとは思うが、われわれは、そのようなことはできるだけしたくないと考えている(できれば「される」のも避けたい……)。
われわれが運営するクラウドファンディングサービス「zenmono」は、幸いにして現在まで11件のプロジェクト全てが成功している。また、zenmonoを開始する前に支援していたクラウドファンディングのプロジェクト2件も成功している。
今のところ100%成功させてきた理由は、われわれがプロジェクトに深く関わりを持ち、プレーヤーの仲間となって進めてきたからだと思っている。時間をかけてプロジェクトをブラッシュアップし、「必ず成功させる!」という意思を持ち、できる限りの協力をする、つまり「われわれの時間を投資している」ということに他ならない。
金銭を投じる投資家である「エンジェル」と同様に、われわれも案件に対して投資判断をしている。最近、エンジェルとして有名なのが、Google社に買収されたロボットベンチャー「SCHAFT」に投資していた鎌田富久さんだ。鎌田さんは、案件そのものよりも、プレーヤー個人に対して投資判断をしているという。また、われわれも同様である。
投資判断においては、“自分の嗅覚”がとても重要になってくる。論理的な考え方だけでは、投資の最後決断はできない。また場数を踏むことで、嗅覚が研ぎ澄まされていくようである。
enmonoの経営理念は、「ワクワクモノづくりで世界を元気にする!」である。ヒトコトで言うと、「ワクワクしている人」、そして「何かモノづくりをしてる人」(製造という意味ではなく、もっと広範な意味合い)とつながりたいと考えている。つまり、先ほどの投資判断の基準も、「ワクワクするか」にある。
人と付き合う時、ぼくには自分なりに気をつけていることがある。
ぼくは元来人見知りで、すぐに誰とでも打ち解けて仲良くなれるタイプではない。人間関係の持ち方を「広く浅く」型か、「深く狭く」型かの2つに分類した場合、間違いなく後者のタイプだ。ぼくのような人間にとって、社交はある種のストレスが付きまとう行為でもある。だからこそ、ひたすら知人の数を増やすのではなく、ある程度人を選んでつながるようにしてきた。その過程でいつの間にか自分なりの基準ができてきたのだろう。
普段、人と接するときにいちいち意識しているわけではないが、その基準はおそらく次のようなものだ。その人は、自分の言葉で語っているか? 他人の言葉で語るにしても、その言葉を自分の考えで解釈しているか? 自分の考えで行動しているか? そしてぼくにとっていちばん重要なのは、大阪弁で言うところの、「おもろい」人か? である。
(原文ママ)
「マイクロモノづくりはじめよう」(テン・ブックス刊):171ページ「人と付き合う基準を持つ」より引用
上記引用文で示した基準に沿って、「ゲゲゲの鬼太郎」の「妖怪アンテナ」よろしく、「ピンときた人」とコンタクトを取ってつながってきたのである。逆に言うと、「ピンとこない人」とは、つながることができないのである。
肩書や経歴は全く基準に入っておらず、有名人かどうかもあまり関係がない。なので、そこを強調しがちな人は、どうも苦手である。「そんなのワクワクしないでしょ」という感じで、こっそり三木(enmono代表取締役)と顔を見合わせて苦笑いする。
以下は、「われわれと相性が良くなさそうな人、良さそうな人」の例だ(一般論ではなく、あくまでわれわれの主観的考えであって、他意はない)。
「目は口ほどに物を言う」と昔からよく言われるが、結果的にお会いして無意識に「目から読み取れる情報」で判断していることに気付かされる。目の輝き、目の動き、目線、まばたきの頻度、会話している口の動きとのバランス……などから、結構本心が伝わってくる。日々のSNSやメールでのやりとり、著書への問い合わせなどでは気が付かなくても、お会いすると一瞬でピンとくることがある。
「ワクワクしている人」により「心が動かされる」ということは、その人自身が行動し、いろいろな試行錯誤の経験があるからこそ起こるとわれわれは考える。その人が発する言葉自体にではなく、「何をなしたのか」についてワクワクするのである。
Googleで調べれば出てくるような情報だけでは、あまりワクワクしない。「巧みな弁舌」「プレゼン上手」はよいことだと思うが、単にそれだけだと、ワクワクするかしないかで言えば、ワクワクしない。
また、モノやサービスなど、ラフなものでもいいから、そこに何か具体的なカタチがあると、ワクワクしやすいのではないかと思っている。
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