ハードウェアベンチャーの雄、Cerevo(セレボ)の代表取締役である岩佐琢磨氏が、2007年の同社創業前に勤めていたパナソニックに11年ぶりの“出戻り”を果たす。なぜパナソニックへの“出戻り”を決めたのか。そして、パナソニックで何をやろうとしているのか。同氏に聞いた。
ハードウェアベンチャーの雄、Cerevo(セレボ)の代表取締役である岩佐琢磨氏が、2007年の同社創業前に務めていたパナソニックに11年ぶりの“出戻り”を果たす――。岩佐氏は、Cerevoの持つ開発・製造ノウハウを活用し、ハードウェアを開発・製造・販売する新会社であるShiftall(シフトール)を設立。その全株式をパナソニックが買収する形で、同氏はパナソニックに帰還することとなった※)。
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岩佐氏が率いるShiftallは、パナソニックが2017年4月に設置したビジネスイノベーション本部と連携していくことになる。同本部の本部長は、かつてSAPジャパンに在籍していた馬場渉氏が務めている。馬場氏は、イノベーションを量産するマザー工場「Panasonic β」をシリコンバレーで推進するなど、従来のパナソニックの組織にとらわれない柔軟な施策を進めている※)。そのビジネスイノベーション本部とShiftallの連携から生まれるであろう新たな可能性にも注目が集まっている。
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岩佐氏は、なぜパナソニックへの“出戻り”を決めたのか。そして、パナソニックで何をやろうとしているのか。同氏に聞いた。
MONOist いきなりですが単刀直入聞きます。なぜパナソニックに戻ることにしたのでしょうか。
岩佐氏 パナソニックなどの大手メーカーを含めて、国内の家電業界がチャレンジャーになったから、というのが答えになるだろうか。
2007年にパナソニックを退社してCerevoを創業したのは、新しいチャレンジをしたかったからだ。その当時のパナソニックは、デジタル家電景気のピークで業績も過去最高レベルだった。まさに家電のトップ企業だったわけだが、そういうチャンピオン的ポジションにある企業は新たなチャレンジがやりにくい。
その時にやりたいと思っていた、ニッチ製品を少量生産して世界規模で販売するという事業はパナソニックにいたままでは無理だった。そのために、パナソニックを退社してCerevoを創業した。Cerevoの事業は創業から11年間、やりたいことをぶらさずに成果を積み上げてきたという自負はある。
しかしその間に、国内家電業界はリーマンショックなどもあって総崩れになっていった。もはやチャンピオンではなくチャレンジャーであり、企業側も新たなチャレンジをしなければならないと考えている。そうしたチャレンジができる環境になったことに加え、自身の“出身校”であるパナソニックの危機に、これまで11年間培ってきた力を役立てたいという思いもあった。
国内家電業界は斜陽といわれて久しくなっている。しかし本当にそうなのか。パナソニックという大手メーカーのもとで新たなチャレンジに臨み、日本の家電の可能性を追求したい。
MONOist 今回の“出戻り”はパナソニックのどなたから話があったのでしょうか。
岩佐氏 宮部さん(専務執行役員の宮部義幸氏)とビジネスイノベーション本部長の馬場さんから打診があった。
私はパナソニックのeネット事業本部でさまざまな経験をさせてもらったが、そのeネット事業本部の前身となる組織を立ち上げたのが宮部さんだ。eネット事業本部でプロジェクトを進める際にいろいろと関わりがあり、そこからの関係になる。当時R&D部門を担当としていた津賀さん(社長の津賀一宏氏)とも、R&D関連のプロジェクトを通して面識があった。
また、パナソニックとしても、新しいチャレンジをやれる人材がほしいが、やはりパナソニックという企業の文化や社風といった“文法”が分かる人間とやりたいというのもあっただろう。
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