ヤマハ発動機は、取締役会において代表取締役の異動を決定した。2018年1月1日付で代表取締役社長 社長執行役員に日高祥博氏(ヤマハ発動機 取締役 上席執行役員 企画・財務本部長)が就任し、社長の柳弘之氏は代表権のある会長を務める。
ヤマハ発動機は2017年11月2日、取締役会において代表取締役の異動を決定したと発表した。2018年1月1日付で代表取締役社長 社長執行役員に日高祥博氏(ヤマハ発動機 取締役 上席執行役員 企画・財務本部長)が就任し、社長の柳弘之氏は代表権のある会長を務める。
同社は2018年に中期経営計画の最終年度を迎える。2019年にスタートする中計の策定や、2030年に向けた長期ビジョンを描くにあたって若返りを図った。63歳の柳氏から54歳の日高氏にバトンタッチする。
執行役員クラスの人事異動も行い、全体の若返りも進める。「次の目標に移行していく中で、次世代の人材が計画を立てて実践まで責任を持てるような体制を作りたいと考えた」と柳氏は社長交代の狙いを説明。後継となる人材の選定は3年前から進め、数カ月前に日高氏に打診した。
日高氏を次期社長に選んだ決め手は、海外経験の豊富さだという。日高氏は、リーマンショック後の在庫のダブつきから「資金が間もなくショートする」といわれた状態の米国事業を立て直すため、2010年に米国法人のバイスプレジデントに就任。在庫削減や人員削減を進め、就任翌年の2011年には黒字化を果たした。
2013年からは、MC(Motorcycle)事業本部の各事業部長として全世界の市場に携わった。MC事業本部は東南アジアを管轄する第1事業部、日米欧を担当する第2事業部、中国やインド、ブラジルを担当する第3事業部に分かれている(※1)。こうした経歴から「経営に生きる大きな財産を持っている」(柳氏)と評価された。
(※1)現在、第3事業部は第2事業部に統合されている。
柳氏は社長を務めた8年間について、「モノづくりで存在感を出せる会社を目指し、開発を一度止めてやりなおした8年だった。結果的に、良い商品や技術を作ることができた。プラットフォーム開発や理論値生産といった理屈の世界ができて、手法が体系化されてきた。ヤマハらしいやり方が定着し、その手法でより強みを磨くような会社になった。そのことを従業員も理解し始めた」と振り返った。
今後のヤマハ発動機の成長に向けて日高氏は「収益改善は進んできたが、売り上げ規模の成長はまだ追求し切れていない。社内で次の手の検討を進めていて、医療分野など新分野での仕込みもある。ロボティクスや画像認識、メカトロニクス、AIなど、社内にさまざまな技術を持っている。他社が優れている部分も多いが、1社で全てを持っている会社は少ない。技術を組み合わせることで、IM事業や電動アシスト自転車など新しい提案をして成長してくることができた。今後も社内の技術を組み合わせて、もっと新しいものが提案できるのではないか、成長ステージを広げられるのではないかと考えている」と語った。
二輪車の電動化については、「排気量150cc以下では電動化が進む、もしくは規制で進めざるを得ないだろう。現在も電動バイクを販売しているが、運転するとスピードが出ない上に、利益も少ない。バッテリーの進化が不可欠だ。トヨタ自動車の全固体電池には驚かされた。バッテリースワッピングの方式が主流になっていくとしたら、他社との協力が必要になってくる」(日高氏)と見ている。
社長人事を打診された時を振り返って、日高氏は「ただただ驚いた。まだちょっと早いんじゃないかと思った。社長(柳氏)は経営者としてまだまだやれるし、先輩役員も多い中で自分は経験不足だと感じた。いろいろな観点や若返りの意図を聞いて頑張ろうと決めた」と語った。
日高氏は学生時代からヤマハのバイクを乗り継いできた。「学生の間はなぜヤマハばかり選んだのか理由が分からなかったが、入社してからヤマハの垢ぬけた美しさや、ぱっと見のカッコよさが自分の好みに合っていたのだと気付いた」(日高氏)。現在はハイエンドモデルの「R1M」を所有する。運転するのは出張などの合間に月に2〜3度で、安全運転を心掛けていると話す。
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