これまでが「変身」のストーリーである。かつてのメイン取引先であった東芝向けの売り上げはゼロになり、年商4億円の大半は包装機械で稼ぎ出す。小さいながらも新しい価値を生み出した企業といえるだろう。脱下請けを目指す中小企業にとっては理想形ではないか。
ではなぜ「変身」できたのかについて、岡田氏にインタビューしたが、興味深い回答が戻ってきた。
「それは社員に諦めない心を持った強い人がいたからです」
生え抜きの社員には変化を恐れる人もいたが、中途採用したエンジニアが新商品の技術の核となる熱処理のプロだった。同時にこのエンジニアが、技術と市場の両方が分かる人材で、社内で新商品に取り組むための「通訳」的な存在になった。
岡田氏はさらにこう説明する。
「当社にいたエンジニアは技術のことだけしか分からない技術寄り人間。文系出身でコンサルタント出身の私はマーケティングを得意とする完全な市場寄り人間。この橋渡しをしてくれたのが中途採用したエンジニアでした」
新参者のエンジニアは、生え抜きのエンジニアにとっては、これまでの仕事の仕方を変えてしまう厄介な存在に写った。「既得権」を脅かす存在だったのかもしれない。生え抜き社員にとっては、すぐに仕事がなくなるわけでもなく、東芝の下請けのままでいることが心地よかった。だから当然、社内では摩擦も起こるが、岡田氏が「プロデューサー」の発想で仕切った。
映画の製作でも、大物俳優同士が演技を巡ってもめたり、スポンサーからの圧力がかかったり、さまざまな「障害」がある。新しい価値を生み出すためにその難局を乗り切る手腕が「プロデューサー」に求められている。
岡田氏の取った行動を見ると、経営者とはそもそも「プロデューサー」なのかもしれないと感じさせる。なぜなら新しい価値を生み出さなければ、その企業は滅亡の道を歩むのだから。
話は少し変わるが、優れた研究にはヒト・モノ・カネを戦略的に差配する「プロデューサー」が付きものだ。
一例を挙げると、ノーベル物理学賞を獲得した米ベル研究所のショックレー氏のトランジスタ開発がある。『産学連携 「中央研究所の時代」を超えて』*によると、ベル研の電子管研究部長だったM・ケリー氏は「将来のアメリカ社会のためには何をすべきか」と自問し、「それは全土を覆う高性能の電話網を構築すること。しかし、真空管では不可能」という答えを出した。そのためには、全く新しい発明が必要であり、新しい仕事を託すべき人が重要であると考えた。その結果、マサチューセッツ工科大の博士課程で研究していたショックレー氏をスカウトしたという。
ケリー氏は「プロデューサー」としてショックレー氏の開発をサポート、マネジメントし、それがトランジスタの開発につながった。電子管研究部長でありながら、自分の分野の限界を認め、それを否定するような研究ができる人材を外部に求めたのであろう。ベル研の権威をあえて否定したと見ることもできる。
* 西村吉雄著、日経BP
西村氏は著書の中で「ケリーは論文の著者にもなっていないし、ノーベル賞の受賞者にも名を連ねていない。しかし、ケリーなしにトランジスタはあり得たか」と問題提起している。トランジスタの誕生は社会を大きく変えた。社会変革の陰に「プロデューサー」ありということでもある。
話を岡田氏の会社に戻す。「トルネード方式」の新商品は立ち上げから順風満帆だったわけではない。2001年9月には商品化にこぎ付けたが、甘くはなかった。半年間受注はゼロで、しかもわずか数台受注した製品ではクレームが起こった。2003年ごろまでその対応に追われた。一時は挫折しかけたが、策定した経営理念を思い出し、クレーム情報を丹念に洗い、それを製品の改良に着実に結び付けたり、装置を標準化する一方で顧客のオプションを増やせる設計に変更したりした。
この事業は2004年ごろからやっと軌道に乗った。岡田氏は新商品開発で苦闘した3年近くを振り返って「無数の技術があってもそれが顧客の問題解決につながっていなければ、それは宝の持ち腐れにすぎない」と痛感した。名は体を表すがごとく、社名を日本テクノロジーソリューションに変更した。
これまでの会社の価値観に変化をもたらした中途採用のエンジニア、変化を恐れないプロデューサー的発想を持った経営者が融合して、苦難を乗り越えながら岡田氏の会社は生まれ変わった。ちょうど2004年にはブラウン管の国内製造が終わった。そして、現在はブラウン管から転じた薄型テレビ事業で多くの企業が収益を出せなくなっている。
「もし、あの判断がなかったら、今どうなっていたかと思うとぞっとする」と岡田氏は笑う。
岡田氏の決断は、ピーター・ドラッカー氏が言うところの「既に起こった未来」だったのかもしれない*。
* 「既に起こり、後戻りのないことであって、10年後、20年後に影響をもたらすことについて知ることには重大な意味がある。しかもそのようなす既に起こった未来を明らかにし備えることは可能である」という言葉にある通り、現段階で発生した事象を基にした将来の見通しは確定的であるということ。例えば人口構成比率が将来経済にどのような影響を与えるかなどは、既に確定した出生率や人口を基に推定できる。
岡田氏は自社の「変身」を総括して「『超マーケットイン』の姿勢が重要である」と語る。「プロダクトアウト型」の製品開発は、作っても売れない時に、内心それは顧客が悪いんだと思い込みがちになる。中小中堅のオーナー経営企業に多いという。
その対極である「マーケットイン型」の開発は、大企業に多く見られ、市場調査重視型に陥り、盲信的に顧客の声は「神の声」となる。しかし、これからの企業が生き残っていくには、顧客が気づいていないニーズを提案する「超マーケットイン」がカギになるという発想だ。
実際、「トルネード方式」の製品は他社製よりも価格が高い。しかし、この設備を使って包装すれば見栄えがよく、商品価値が高まることを顧客に気づいてもらった。「設備を売るのではなく、新しい包装サービスを提供しているからこそ高くても売れる」と岡田氏は話す。
2012年は、中小企業の事業継承・世代交代のピークの年になるといわれている。既に2006年版の「中小企業白書」でも「『団塊の世代の引退』と、高度成長期に大量に創業した『創業者世代の引退』という2つの世代交代の波が重なり合い、事業承継と技能承継のいずれも重大な局面を迎えている」と指摘している。
さらに最近の未曽有の円高やデフレ経済により長びく不景気も、中小企業の経営者に、前に出るかしりぞくのかを迫っていることだろう。
こうした状況下で、今回は中小企業が世代交代などの面で生き残り戦略を構築する上で、「日本テクノロジーソリューション」の「変身」の物語は参考になる。
小さいながらも「キャズム」を超えた企業といえるのではないか。
岡田氏は2011年10月に著書を出版した*。著書では、その変身プロセスとそこから得られた教訓をまとめている。また、変身ノウハウを転用するコンサルティング事業も開始し、2012年年1月には東京事務所を開設したばかりだ。
最後に岡田氏は成功のポイントをこう掲げた。
中小企業の事業継承や世代交代にハウツーはありません。経営者自身が引き継いだという意識を捨て、『心のアントレプレナー』になることです。
*『変身する組織へ贈る! 世代交代ストーリー』(日刊工業新聞社)
井上久男(いのうえ ひさお)
Webサイト:http://www.inoue-hisao.net/
フリージャーナリスト。1964年生まれ。九州大卒。元朝日新聞経済部記者。2004年から独立してフリーになり、自動車産業など製造業を中心に取材。最近は農業改革や大学改革などについてもマネジメントの視点で取材している。文藝春秋や東洋経済新報社、講談社などの各種媒体で執筆。著書には『トヨタ愚直なる人づくり』、『トヨタ・ショック』(共編著)、『農協との30年戦争』(編集取材執筆協力)がある。
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