21世紀的“円盤型”市場と事業デザイン、知財戦略の関係とは? サントリーが取り組む知財マネジメント戦略と過去の苦い経験も披露
2010年1月18〜19日、今春から早稲田大学の大学院に創造理工学研究科 経営デザイン専攻コースが新設されることに合わせ、シンポジウム「価値創造産業と『動的』知財マネジメントシンポジウム」が開催された。本稿ではこのうち、第2部「価値創造産業の経営をデザインする〜『動的』知財マネジメントとは何か?」の内容をお伝えする。(編集部)
2010年4月、早稲田大学の大学院に創造理工学研究科 経営デザイン専攻というコースが新設される。同コースは経営工学をベースとしつつ、「経営デザイン」と冠していることからも分かるように、従来の技術経営(MOT)の枠組みを超え、「価値創造産業の経営をデザインできる人材の育成」を目指している。
コース設立に関連して、同コースの知財マネジメントプログラムに参加する企業・組織のメンバーを含む教授陣らによる第1回 シンポジウム「価値創造産業と『動的』知財マネジメントシンポジウム」が2010年1月18〜19日にかけて開催された。
本稿ではこのうち、第2部「価値創造産業の経営をデザインする〜『動的』知財マネジメントとは何か?」の内容をお伝えする。
シンポジウムのテーマには「動的」知財マネジメントというキーワードが用いられている。このシンポジウムをオーガナイズした早稲田大学経営デザイン専攻 教授 森 康晃氏は、通産省や産業技術総合研究所など、日本のモノづくり産業の技術経営を最前線で見てきた人物だ。
森氏によると、知財マネジメントは歴史的に見て3段階に分けられるという。第一段階として、アンチ・パテント(特許取得を行わない)フェイズ、次にプロ・パテント(特許取得意識の出現)。この段階までの企業の知財部門は、「どちらかというと受け身のスタンス」だった。第一段階はもってのほかだが、知財部門が確立し、自社開発技術の特許取得に動いたとしても、半ば義務的であるような、企業の中でも日陰の存在として扱われてきた。こうした受け身の知財マネジメントが通用してきたのには理由があるという。
日本の産業は、戦後長らく、通商貿易の分野では「産業カルテル」政策が採られていた。独禁法上の適用除外や関税などを防護壁として、海外の競合企業との競争から日本の産業を保護育成する必要があったためだ。
「産業カルテル政策そのものは悪ではなく、こうした政策があったからこそ日本の産業が発展したともいえる」(森氏)
つまり、産業カルテルによる保護に守られていたからこそ、前述のような受け身の知財マネジメントが可能だったというのだ。
しかし現在では、日本の企業はむしろ国外での活動を積極的に行うようになり、政策そのものも産業カルテル政策に拠る国内企業強化ではなく、競争力強化に向けてシフトしつつある。例えば、ASEAN諸国を初めとする各国とのFTA締結などに見られるように関税の自由化が進められている。また、グローバルに目を向けると、EUのように厳格な競争法を持つ地域も増えてきている。
森氏は、現在のこの状況を「価値創造産業の経営デザインが求められる時代」と定義、より能動的な知財部門をエンジンとした研究開発と事業戦略が必要な時代であるとする。
「知財マネージャはただ単に知財情報を管理するだけでなく、戦略的に標準化しなくてはならない。そのためにも、知財マネージャは企業の研究開発戦略のコアに位置付けられていくようになるべき」というのが森氏の考えだ。
三菱東京UFJ銀行 企画部 経済調査室 上席調査役である宿輪 純一氏も森氏と同様の見解だ。現段階では、関税以外にもさまざまな法律が国内産業を保護している状況だが、アジア地域を中心とした各国との関税自由化が進めば、各国企業にとってFTA枠内がすべて“国内市場”といえる状況になる。それゆえに、いま、企業が考えるべきは、こうした競争の中で勝つことができる知財戦略と標準化戦略がどのようなものかということだ、とした。
映画産業にも造詣の深い宿輪氏は、標準化の例として、業界団体(Digital Cinema Initiatives, LLC)によって策定されたDCI規格などの統一規格を例に、事実上の業界標準の地位を獲得することによる競争優位性を基にした知財と標準化による「“逆”非関税障壁」が必要だろうとの見解を示した。
藤末 健三氏は参議院議員の立場から今後の日本の産業界のビジョンを語った。藤末氏は東京工業大学情報工学科から通商産業省に入省、工学、経営学などに明るい人物。東京大学大学院工学系研究科で博士号も取得している。2004年、東京大学工学部総合研究機構 助教授から参議院議員へと転身した。現在は民主党の産業政策へのアドバイザとしても活躍している。
「(人口減少が進む日本では)国内市場の縮小は否めない。しかし、それが企業のシュリンクに直結してはならない」(藤末氏)
国内市場が縮小しても企業が強くあるために必要なものはなにか。藤末氏はここで、玉田 樹氏による「円柱型市場と円盤型市場」の対比を用いて21世紀型市場におけるマーケティング戦略のパラダイムシフトを挙げ、市場構造の変化にともなった事業モデルの変更、すなわち従来型企業の解体と再統合について提言した。
ここで、円柱型・円盤型市場について整理しておこう(注)。この用語を用いて市場を分析した玉田氏の論によると、20世紀型の市場は「円柱型」だったとされる。つまり、市場は立て長の形で存在しており、マスマーケティング、スケールメリット、シェア競争などによって市場を深く掘ればそれだけ収益が得られる仕組みだ。
一方の21世紀の市場は、玉田氏の仮説によると「円盤型」。同じ市場規模であってもその形は薄く広いとされる。円盤型市場に対して従来型の掘り下げを行ってもすぐ底が見えてしまうために、モノが売れない、市場がないという印象を受ける、大量のコストを投下してもそれに見合う収益を上げにくい形状だ。従来どおりの販売戦略を実行してもわずかな収益だけで市場が尽きてしまう。このため市場が活性化されず、産業はいつまでも成長できない。この市場観のミスマッチが企業の発展を妨げているという。
円盤型市場ではタテの掘り下げではなく、横軸からの参入が必須となる。加えて、1社単独で市場を開拓することはもはや難しいという。それゆえに、事業そのものを横連携を重視したネットワーク化し、外部性を高め、協同で市場を開拓して行く必要があるとされる(例えば、パソコンメーカーと通信キャリアによるネットブック普及戦略などがその代表とされる)。
そこで、企業体そのものも20世紀的構造から新しい形に変化して行く事が必要、というのが藤末氏の考えだ。具体的には、垂直統合型の企業からブランドオーナーと付加価値コミュニティによる事業体への変更といえる。
つまり、知的財産、人的資産、運転資本を持ち、顧客リレーションと製品やサービス開発を担う「ブランドオーナー」と、製造・物流・事業支援などをコア事業とする企業群によって形成される「付加価値コミュニティ」による有機的なネットワークを形成することで円盤型市場を活性化させるというビジョンだ。
「今後は、自社開発による企業発展ではなく、必要があれば外部から技術を調達してくる仕組みが確立する」。こう語る藤末氏の見解は、先に本フォーラムで紹介した産業技術総合研究所 理事で産業技術アーキテクトの伊藤 順司氏の語った「アーキテクトモデル」とも近しい。
「知財マネージャは、今後ますます製品プロデューサ的な役割を担うようになっていくだろう。知財マネージャは独自のネットワークを持った活動を行う必要に迫られるようになると考えられる。必要があれば積極的に外部から技術を調達し、場合によってはバーチャルコーポレーション(仮想企業体)という発想も必要になってくる。当然、知財戦略を考えるうえでは製品ライフサイクル全体を見る能力もいままで以上に必要となるはずだ」(藤末氏)
日本総合研究所 総合研究部門 技術価値創造戦略グループ ディレクタ兼主席研究員である時吉 康範囲氏も藤末氏と同様で、「今後は研究開発そのものが事業戦略に則った外部連携の方向に進むだろう」との見解を示した。
時吉氏によると「企業の研究開発部門が掲げる研究テーマが蛸壷(たこつぼ)的で小粒になりつつある」現在、「事業や産業にインパクトのあるものは企業内の研究開発部門から生まれ難い状況」であることをその理由の1つとしている。いま絶対的に必要なのは、産業構造そのものにインパクトを与えられる「事業デザイン」を提案する能力だという。 今後は「市場における既存の主要プレーヤのどの部分にインパクトを与え、市場から退場させる仕組みを作れるかが重要」となり、よりダイナミックな連携を視野に入れた戦略作りを担うのが知財マネージャの役割になる、と語った。
注:玉田氏の論考は『日本の優先課題2000産業創発』(野村総合研究所、1999年)にある。市場の構造が円盤型となる一方、そこで活躍する産業は花びらのように、複数の企業がそれぞれの強みを生かして参入する「花びら型」とされる。下記URLで公開されているPDF資料でもその概略が読める。
http://www.furusatosouken.com/G1hanabira.pdf
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