名古屋大学は、世界に先駆けて、線虫をモデル系とした大規模なリン酸化プロテオミクス解析を実施。これによって、単独の神経細胞レベルで記憶が存在することを実証し、従来の定説とは異なる、新規の記憶メカニズムを同定することに成功した。
名古屋大学は2015年12月25日、線虫をモデル系とする大規模リン酸化プロテオミクス解析を、世界に先駆けて成功させることにより、従来の定説とは異なる新規の記憶メカニズムを同定することに成功したと発表した。この研究は、同大学大学院理学研究科の森郁恵教授と同大学院医学系研究科の貝淵弘三教授らの共同研究チームによるもので、成果は米科学誌「Cell Reports」に、同月24日付で発表された。
記憶や学習は多細胞間の相互作用によって支えられており、特に神経回路網内でのシナプス伝達効率が変化する「シナプスの可塑的変化」によって成り立つとするシナプス説が、現在では最も有力だ。しかし、今回の研究によって、神経細胞間の相互作用を基盤とする神経回路レベルでの記億以外にも、単独の神経細胞レベルでの記憶(単一神経細胞記憶)が存在することが実証された。
同研究チームは、線虫C. elegans(シーエレガンス)の温度走性行動をモデル系として、研究を行ってきた。この温度走性行動をつかさどる神経回路の最も上流に位置するのが、温度受容細胞であるAFDニューロンだ。AFDニューロンは、温度を感知するだけでなく、感知した温度を自身で記憶している温度記憶細胞である可能性が示唆されており、さらに、単独で温度記憶を成立させている可能性が高いとも考えられている。しかし、既存の実験系では神経細胞単独での記憶形成を検証することができなかった。
今回の研究では、AFDニューロンの初代培養系を確立し、AFDニューロンを他の細胞から完全に隔離した条件下で、温度記憶が形成されるかをカルシウムイメージングを用いて検証した。その結果、培養温度依存的な温度応答が観察された。これは、AFDニューロンにおける記憶形成が、他の細胞との相互作用を必要としないことを示している。
次に、この単一の神経細胞による記憶の分子レベルでの実体を解き明かすため、遺伝子変異体を用いた解析を実施。その結果、cmk-1遺伝子の機能欠損変異体において、この単一神経細胞の記憶に深刻な異常が観察された。
cmk-1遺伝子は、カルシウム-カルモジュリン依存性プロテインキナーゼCaMKI/IVをコードする。そこで、CaMKI/IVのリン酸化の標的となる分子を見つけるため、線虫の全タンパク質に対して、ヒトのCaMKIタンパク質を用いたリン酸化プロテオミクス解析を実施した。これにより、ヒトCaMKIリン酸化標的分子の候補を同定。この中に含まれていた、Rafキナーゼの欠損が単一神経細胞の記憶に異常を引き起こすことを突き止めた。そして、さらなる遺伝子変異体の解析により、CaMKI/IV-Raf-MEK-ERK-MED23という分子経路が単一神経細胞記憶の成立に重要であることを見いだした。
同研究で開発された実験系は、単一神経細胞記憶を解析することができる世界で初の実験系であり、この新技法を用いることで、いまだ謎の多い記憶・学習の分子メカニズムの解明に新たな道が開けることが期待されるという。また、CaMKI/IV-Raf-MEK-ERK-MED23の記憶制御分子を治療ターゲットとすることで、神経疾患や精神疾患に対して、新たな創薬開発に展開させることが、将来的に可能となるかもしれないとしている。
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