好調なマツダを支える柱の1つ「SKYACTIVエンジン」。その開発を主導した同社常務執行役員の人見光夫氏が、サイバネットシステムの設立30周年記念イベントで講演。マツダが業績不振にあえぐ中での開発取り組みの他、今後のSKYACTIVエンジンの開発目標や、燃費規制に対する考え方などについて語った。その講演内容をほぼ全再録する。
「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を「デミオ」、「ロードスター」と2年連続で受賞するなど好調なマツダ。そのマツダを支える大きな柱の1つが新世代技術「SKYACTIV」だろう。特に、過給機やハイブリッドシステムを用いずに良好な燃費をたたき出す「SKYACTIVエンジン」への評価は高い。
このSKYACTIVエンジンの生みの親ともいえるのがマツダ常務執行役員の人見光夫氏だ。その人見氏が、サイバネットシステムの設立30周年記念イベント「System-level Engineering Symposium 2015〜開発プロセス革新への挑戦〜」の30周年記念講演に登壇。マツダが業績不振にあえぐ中でのSKYACTIVエンジンを開発するための取り組みを中心に、今後のSKYACTIVエンジンの開発目標や、燃費規制に対する考え方などについて語った。
本稿は、人見氏の講演内容を“ほぼ全再録”という形式でお送りする。
バブル崩壊後、マツダはフォードに助けられて生き延びた。しかし、国内市場を見ると「ハイブリッド車でないとクルマでない」という雰囲気で、マツダには何もないと言われていた。Zoom-Zoom戦略で持ち直しつつあったが、リーマンショック以降の大幅赤字やフォードの出資比率低下、超円高など資金的に厳しい状況に追い込まれた。SKYACTIVに賭けようとなったのはこの頃だった。
私は2000年にパワートレインの先行開発部の部長になった。このときの人員は30人しかいなかった。大手であれば、ガソリンエンジンとディーゼルエンジンだけで1000人体制の部門だ。この少人数のパワートレインユニット先行開発グループの他、量産開発支援が主な業務の制御先行開発グループと解析グループがあった。これらの戦力で2012年に強化される欧州のCO2排出規制にどう備えるかという苦しい環境だった。この時、モチベーションは特に解析グループで下がり切っていた。
パワートレインに求められる先行開発の領域は幅広い。ハイブリッド、リーンバーン、過給ダウンサイジング、気筒休止、各種可変動弁技術など各社がさまざまに取り組んでいる。お金も人も足りないマツダが全てできるわけがなかった。
一方、商品開発はフォードと共同開発する2l(リットル)クラスのエンジンや、マツダの小排気量のエンジンで手いっぱいだった。なぜなら、試作して悪いところを探すプロセスを繰り返す、実機頼みの開発だったからだ。このせいで品質問題が多発し、量産が遅れるという悪循環に陥っていた。ただでさえ手いっぱいの商品開発から先行開発に人員を割くことは期待できなかった。
この制約のもとで、他社がやっている技術にどう対応し、モチベーション低下をどのように改善するかが課題となっていた。
将来を見据えたエンジンを開発するには選択と集中しかなかった。やることが多いから何か商品や技術を選んで集中し、他を諦めるのではない。かといって、お金も人も足りないので、1つ1つに対症療法で臨むこともできなかった。
そんな中、ボウリングで1番ピンを倒せばその次も順に倒せるように、マツダの社内の課題にも「1番ピン」があるのではないか、課題を集約できないかと考える習慣が始まった。今では「ボウリングの1番ピン」という言葉は社内で十分定着している。
規制の施行が迫る中で実行したかったのは、少ない人数で的を射た画期的な技術を開発するのと、商品開発を効率化して人手を先行開発に回していくことだ。開発部隊のメンバーのモチベーションも向上したかった。
今日明日の糧となる商品開発に集中させるのではなく、何があるか分からない将来に備えて人とお金を割きたいと思った。一方で、今日明日の製品もきちんと効率よく回す。それがいい会社だろう。会社が生き続ける前提で、いい会社の姿を目指そうとした。
課題の一番ピンを次のように立てた。新技術の開発は、エンジンの効率改善の究極の姿とそこに至るロードマップを描くことから始めた。商品開発は、実機での試行錯誤に頼らない開発、CAEを駆使することを目指した。
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