まるで下町ロケット! 大企業を捨て町工場を継ぎ手にした“ワクワク”する生き方中小企業イベントレポート(3/3 ページ)

» 2017年07月07日 14時00分 公開
[辻村祐揮MONOist]
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“自己ブラック化”時代に何を得たのか

 数ある仕事の中でも、特に力を注いだのは新規顧客の開拓だった。実は、C社は中小企業にありがちな1社依存体制だったのだ。C社の売上高は2010年に損益分岐点まで回復するのだが、頼みの綱のお得意さん1社が仕事を回してくれたおかげだった。だが、それ以外の会社からの仕事はほとんどない。このままでは損益分岐点は超えられないし、会社の命運がお得意さん1社の業績に左右され続けてしまう。そのため、小川さんは新規顧客の獲得を目指し奔走。その努力が実って、お得意さん以外からの仕事が約2.5倍に増え、2011年に売上高が損益分岐点を越えた。

小川さんが退社する2012年半ばまでの業績推移(クリックして拡大)

 小川さんは“自己ブラック化”時代、町工場の運営について徹頭徹尾考え尽くす2年間を過ごした。「営業技術課長に就任してからの2年間は、どうすれば新しい仕事が得られるのか、いろいろと実験することができた。そういう意味で『人の褌(ふんどし)で相撲を取る』ことができるのが中小企業で働く魅力の1つだ」(小川さん)。

 修行で自信をつけた小川さんは2012年半ば、家業を正式に引き継いだ。当時の小川製作所は小川さん、小川さんの父と母の3人しかいない、いわゆる三ちゃん工場だった。先述したように仕事はなく、ほぼゼロからのスタート。起業したてのような状態だった。

小川製作所の業績推移(クリックして拡大)

 だが、修行時代に培った営業力を駆使し、仕事を次々に引き込んだ。2013年には精密部品の扱いを開始。2015年には、航空機の設計者だったときの経験を生かし、航空機部品量産の仕事も手掛けるようになった。それに伴い、業績は徐々に拡大。2016年は大型のプロジェクトを受注し、売上が一気に跳ね上がった。

 もちろん、順風満帆かと言えば、そうは問屋が卸さない。2017年は大型の案件がないため、小川製作所の業績は、好調だった前年度、前々年度の業績を下回る見込みだという。

エンジニアの生きる道、正しいのはどれか

 小川さんは自身の経歴を語り終えた後、大企業で働くこと、中小企業で働くこと、独立すること(起業やフリーランス)の3つを比較し、東京理科大学の学生たちに向かって、それぞれの長所と短所を説明した。

 大企業では自動車や飛行機の研究開発など、社会へのインパクトが大きな仕事に携われる。だが、自身の業務に対する裁量が限定的で、プロジェクトが成功しても貢献度はさほど高くない。しかも、社内のローカルルールの制約が多く、一般的な社会で役に立つスキルばかりが身につくわけではない。とはいえ、待遇面で大企業に勝るものはない。新卒の時点での給料は低いが、その後ほぼ右肩上がりに伸びていく。昇進にはもちろん自己の能力や成果は求められるが、年功序列的な評価基準はまだ残っている。最近では休暇の取得や残業からの解放も進んでいる。

 一方、中小企業となると仕事の規模は小さい。例えば、自動車や飛行機自体ではなく、その部品を作ることになる。自身の能力がダイレクトにプロジェクトの成否につながるため、成果を上げたときの達成感は高い。昇給や出世は能力や成果が如実に反映される。とはいえ、最初の10年程度で給料が急激に伸び、ある程度まで行くと頭打ちになっていく傾向にある。その上、管理職になると休みが取りにくく、家族との時間が持ちづらい。

 起業やフリーランスは中小企業で働くよりも能力や努力が成果に直結する。成し遂げたこと全ての独り占めができる一方で、逆に全ての責任を自分が負わなければならない。売上が伸びるときもあれば、そうでないときもあるので、所得の乱高下も覚悟する必要がある。実は意外と休みが取れないのだが、休みを取るタイミングに融通がきくのがメリットだ。

 大企業、中小企業、起業やフリーランス、どれが正解なのか。小川さんは説明を終えると、正しい働き方や成功モデルはないと語った。「今は昔に比べると、エンジニアも多様な働き方ができる。各自が自身の能力や価値観に合った働き方を選べる」。小川さんは結論については、「あなたの望むエンジニアとしての人生を、この機会にぜひ考えてほしい」と、聴講している学生たちに委ねた。

将来の夢、展望を語る小川さん

 そんな小川さんは、今の人生に満足しているのだろうか。「後ろ髪を引かれる思いがないとは言わない。富士重工業に勤め続けていれば、所得は今よりも高かっただろう。だが、今手にしていることの多くは、家業を継がずに得られなかった。その1つは、家族との時間を以前より多く持てること。もう1つは、自分のやり方で自分の好きな仕事ができ、しかもその功績を独り占めできることだ。私が家業を継いだ時、小川製作所はほぼゼロスタート。私は子どもが2人いるが、小川製作所の業績を伸ばすことは、3人目の子どもを育てることのように楽しかった。単純なルーティンワークでさえ毎日ワクワクできる。確かに独立する道は、未来が必ずしも定かでないという意味で大変だ。しかし、将来が決まり切っていないからこそ、未来を切り開くという楽しみが味わえる」。

 小川さんは今、大いなる野心を胸に秘めている。それは、航空機のエンジン、もっと言えば航空機を1機丸ごと生産できる企業に、小川製作所を発展させることだ。いつ実現するやもしれない壮大な夢かもしれないが、“今後どうなるか分からないというスリルの中で、不透明な未来を切り開いていく”――この言葉の通り、小川さんは夢の実現に向かって力強く駆けていくに違いない。

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