産業用ネットワークの始まり〜1980年代に登場したGM主導のMAP〜産業用ネットワークのオープン化の歴史(1)(2/2 ページ)

» 2024年12月16日 08時00分 公開
前のページへ 1|2       

MAPが普及にいたらなかった理由

 しかし、残念ながら結果としてMAPは広く普及するにはいたりませんでした。その理由はいくつかあるでしょうが、大きなものは次の4点となります。

プロトコルが重かった

 プロトコルがOSI7階層をサポートしており、通信技術としては重かったことです。ここでいう“重い”とはプログラムが大きいために、高機能のCPUや大容量のメモリが必要になり、通常求められる処理より遅くなるということです。

 プロトコルが重いと、通信カードのハードウェアもソフトウェアも複雑になり、コンフィギュレーションが難しくなります。今から見ると、MAPはOSI7階層にとらわれすぎた感じもしています。現在の産業用通信は必ずしもOSI7階層そのままに準拠していません。

 特に当初のMAPはISO OSI7階層に完全準拠をすることを重視したため、通信が重くなってしまったと考えられます。この結果は、当時の技術では無理からぬところがあり、現在のPCが64ビットCPUで動いているのに対して、1980年代半ばのPCは8ビットCPUが主体である状況でした。

 マイクロプロセッサの処理能力もこれだけ違っている上で動かす通信技術であることをご理解ください。

対応機器の価格

 前項の理由により、MAPに対応する通信機能を安価に提供できませんでした。つまり、MAP対応の機器はMAPを搭載しない機器に比べて相当値段が高くなってしまったのです。

 MAPの普及について、1993年にオムロンの飯村二郎氏は「MAPは普及しているか?と問われると、首を横に振らざるを得ない」と述べ、その理由の1つとして「ハードウェアの価格は当初からみれば大幅に低価格化され、(中略)だが、最も普及しているイーサネット系の価格から見ると、その差は大きく」※5と指摘されています。

 また、1994年に東洋エンジニアリングの竹村慎輔氏は「(筆者追加:MAPは)これまでは、Token-bus+broadbandが中心であったが、この組み合わせは、投資コストがかかり過ぎるや、機器の調達が困難であることなど、問題が多すぎる」※6※7と説明されています。

※5 日刊工業新聞社 雑誌「オートメーション」1993年 第38巻第6号「MAPはこれからどうなっていくのか」から引用
※6 日刊工業新聞社 雑誌「オートメーション」1994年 第39巻第1号「ネットワークシステムの現状と期待される姿」から引用
※7 broadband(ブロードバンド)とは、定められたバンド幅で周波数帯を分割し、同じ伝送媒体上に複数の伝送チャネルを設け利用する方式。なお、ベースバンドは伝送路を1チャンネルで専有し、使用する

工場階層化への対応

 当時、工場内の通信バスという考え方はありましたが、PLC間を結ぶコントロールバス、PLC/DCSとフィールド機器をつなぐフィールドバス、接点信号を主に取り扱うデバイスバスといった階層的なバスという考え方はまだありませんでした。そのため、MAPは工場内の全ての機器との通信に使われるように意図されたのですが、やはり1つで全てをまかなうこの考え方は無理があったようです。

 1980年代の半ばにCIM(Computer Integrated Manufacturing)という考え方の中で製造システムの階層化が提唱され、その階層構造に合わせるような形でミニMAPも登場しました。つまりフルMAPはOSI7階層の全てをサポートするが、ミニMAPは1、2、7の3階層構成となる軽いプロトコルでつなごうという考え方です。

 ミニMAPはリアルタイム性に優れるので、フルMAPより製造現場に近い場所で使用されることが想定されました(図1:※8)。日本でもFAIS(FA Interconnection System:FA相互接続システム)という規格をミニMAPに準拠する形で完成させ、MAPの導入を図りましたが、MAPは結局マーケットに受け入れられませんでした。

日刊工業新聞社 雑誌「オートメーション」1994年 第38巻第10号「FAから見たフィールドバス」からオムロン 春木嵩信氏の「図1 ISO/CIMモデルのハイアラーキシステムイメージ」を書き直した(オムロンの言い方と思われる部分を削除した)。なお、本図の「FWS」とはFactory Work Stationの略、PCとは現在は一般にPLC(Programable Logic Controller)とよばれる機器と考える[クリックで拡大]

他の新しい技術の登場

 MAPの仕様制定にはかなり時間がかかり、その間に他の新しい技術が登場しました。

 例えば、MAPでは物理層は同軸ケーブルを使い、データリンク層はトークンバスを採用しました。この選択はオートメーションのリアルタイム性を重視し、市場で手に入りやすい媒体を使用するためには当然の選択と思われました。

 つまり、同軸ケーブルはケーブルテレビなどにも使われていましたし、IEEE 80.23のEthernetも最初は同軸ケーブルを使っていました。また、イーサネット(Ethernet)のデータリンク層の規格であるCSMA/CDではリアルタイムでのデータ応答時間が保証できないためトークンバスが優位と考えられたのです。

 しかし、1990年代になるとイーサネットにスイッチの考え方が導入されました。スイッチを使うと、回線上に接続された機器はデータ送信のタイミングを考慮せず勝手にデータを送り、スイッチが回線の空いている時間に通信を流してくれるので、送信タイミングを機器自身で判断しなければならないトークンバスより通信機器の設計が容易になりました(価格も安くなりました)。

 また、イーサネットでは同軸ケーブルからRJコネクターとツイストペア線を使うという安価な物理層が使われ始めました。そのうちに工場以外のLANのアプリケーションをイーサネットがほぼ独占すると、イーサネットを使用した技術の進化と価格の低価格化がいっぺんに進んできたのです。

 さらに、MAPのアプリケーション層の仕様のメインであるMMS(Manufacturing Message Specification)がなかなか決まらなかったのも、MAPの採用が進まなかった大きな理由だと思います。

 筆者は当時、日本のベンダー会社でプロセス産業向けのオートメーションシステムの販売の技術サポートをしており、いくつかの制御システムを客先に提案したことがあります。しかし、MAPの採用について客先と打ち合わせたことはありませんでした。

 製造現場の制御システムのデータ、特に生産実績などのデータをどのように工場の管理部門に届けるかという手段について、標準的な手段は生産実績の印刷(プリントアウト)でした。

 コンピュータ間通信にそれほど難しさを感じていない現在のエンジニアの方からすると、「なぜネットワークでつながないの?」と言われそうですが、1980年代までは「紙の方が便利」と考えるくらいネットワークが大変だったのです。例えば、1つの会社内の営業部門と工場間の受注情報のやりとりもFaxで行われていた時代でした。

 振り返るとこのような時代にオープンなネットワークの実現を目指したMAPを普及させることは相当に難しかっただろうと想像します。

終わりに

 本原稿を書くにあたり、IROFAの後身であるMSTCに伺い、MAPの資料を閲覧しました。当時の資料はほとんど残っていませんでしたが、1990年ごろにMAPの国際会議に出た時の報告書などがあり、読ませていただきました。

 その会議で討議された打ち合わせの範囲を見ると、「工場で稼働する異機種のコンピュータを自由につなぐ」というオープン化を実現するために、物理層からアプリケーション層まで、とてもたくさんの技術項目を検討し、さらには市場に登場し始めた新しい技術とどのように整合を取ろうかと考慮されてきた当時の方の努力に頭が下がります。

 MAPは産業用ネットワークのオープン化、容易な接続を目指しましたが、残念ながら当初予想されていたようには普及はしませんでした。しかし、「工場で稼働するさまざまなメーカーの複数の機器をオープンにつないでオートメーションをより向上させたい」という目的は次の時代に受け継がれていきます。


 次回は、プロセスオートメーション用フィールドバスについて触れます。

⇒その他の連載「産業用ネットワークのオープン化の歴史」の記事はこちら

TJグループ株式会社

元吉 伸一(もとよし しんいち)

日本の産業用制御機器ベンダーに18年間勤務し、その間に国内営業技術、米国駐在、マーケティングの業務に従事した。その後、欧州産業機器ベンダーの日本子会社での16年間の勤務を経て、産業用ネットワークの普及活動を2022年まで担当した。現在は、産業オープンネット展準備委員会のリーダーを務めている。

前のページへ 1|2       

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.