プレス金型では、高性能の倣い型彫盤、高精度プレーナや精密中ぐり盤など、高度な型製作設備を導入し、型製作や型修理の効率化に努めた。
図18に、倣い(ならい)型彫盤を用いた屋根に当たるルーフのプレス型製作の様子を示す。上段に取り付けられたマスターモデルに倣って接触端子(フィラー)を押し当てて、マスターモデルの形状を倣って、下段の横型の主軸を持つ型彫り加工機(横型切削機械装置)で工作物(鋳物)を切削加工して、プレス成形金型が作成される。マスターモデルも工作物も縦壁に固定されている。下段の横型切削機械装置で、工作物が切削加工されて、生成する切くずは重力で下に落ちるので、切くず処理の上で都合がいい。図18(a)はマスターモデルのフィラー位置を調整しているところで、図18(b)は工作物の切削位置調整をしているところである。フィラーと工具(エンドミル)の先端は半円形状で、荒加工ではその切削ピッチと径は大きく、仕上げ加工では小さくする。これによって、1957年には、型製作におけるモデル倣い型彫りの実用化が進み、マスターモデルを基準とする型製作の定着が進み、モノづくりの標準化が推進された。
また、加工技術においては、工作物(ワーク)に対して溶接や組み立て、研削などの加工を施す際に取り付けることで、加工のサポートや案内を行うための補助具である治具、特に溶接のための治具ウェルダーが用いられるようになった。
1950年ごろから、自動車部品としては大物でしかも外観スタイルに影響を与えるフェンダー、フードなどを造るのにプレス工程が用いられるようになった。しかし、深絞りの他にも、外径抜きや曲げなど何段ものプレス成形加工が必要になる。
1957年2月にはプレス型工場を新たに設けた。生産車種の増加に伴い、プレス型の種類が増加する一方で、車両のモデルチェンジに際して迅速な型製作が求められたことに対応した措置であった。
1957年に6台の油圧プレス機を増設した際、プレス工場でのライン化に向けて、ベルトコンベヤーによる搬送で各種の機械設備を連絡し、プレス成形の流れ作業を実現した。図19は、コンベヤーで連絡されたプレス成形の流れ作業である。
その結果、プレス部品の製作時間が短縮され、生産能力が増大するとともに、従来2カ月分必要であったプレス部品のストックが1カ月分に減少した。
また、同年3〜7月に油圧式プレス機4台、機械式プレス機3台の増設を行った。これに合わせて、プレス機へ鋼板を挿入するローラーフィードや、プレス機から成形パネルを取り出すアイアンハンドなどを導入し、プレス成形作業の能率向上を図った。
トヨタは1956年9月22日、国民車の試作車を挙母工場で発表した。
通商産業省の自動車課は、1955年5月18日に国産自動車技術を前提とする「国民車育成要綱案」を発表した。この国民車の条件は、最高時速100km以上、定員4人、エンジン排気量350〜500cc、燃費30km/l(リットル)以上、販売価格25万円以下であった。
1956年8月には、これら条件をクリアした国民車が試作された。図20は、完成した1A試作車の第1号である。試作第1次(開発ナンバ1A)、第2次(同11A)、第3次(同68A)と3次にわたる6年間の開発期間を経て、パブリカUP10型が誕生する。
表3は1A試作車の仕様である。UP10型のエンジンは4ストローク空冷式のU型ガソリンエンジンで、排気量は698cc、29ps。トヨタ自工は、1956年9月22日に報道機関やタクシー業界の関係者を挙母工場に招き、それまで先例のなかった開発中の試作車公開を行った。
項目 | 内容 |
---|---|
型式 | 前輪駆動式、2ドア |
エンジン U型ガソリン |
空冷水平対向2気筒、29ps、4ストローク、698cc |
全長 | 3650mm |
全幅 | 1420mm |
全高 | 1385mm |
ホイールベース | 2100mm |
表3 1A試作車の仕様(1956年) 出所:トヨタ自動車 |
国民車構想に端を発した新車開発は、初代パブリカの誕生という成果をもたらし、ここに新たに大衆車市場を出現させた。
また、トヨタのテクニカルセンター※13)(技術本館)は1954年10月に完成している。例えば、技術部門でクラウンの開発が始まった1952年当時、大型トラックBX型、小型トラックSG型、小型乗用車SF型、四輪駆動車BJ型などのシャシーの設計、自動車の普及による車種の増加への対応、開発中のRS型クラウンのボディーの自社設計/製造に向けて、車両開発の迅速化、設計工数増加への対応といった問題解決のために新たな研究開発業務が一層増加し、技術部の拡充は喫緊の課題であった。テクニカルセンターは、それらの問題を解決するための研究開発拠点である。そのテクニカルセンターの建設後、1955年11月に試作工場(240坪、792m2)が完成したのに続き、自動車開発の最終的な走行チェックを行うための本社テストコース※14)が1956年9月に完成した。
※13)テクニカルセンターは、設計室、デザイン室、図書室、青写真室、化学実験室、物理実験室、自動車実験室から成り、創業期の技術部門施設と類似の構成をとった。設備としては、最先端の試験用装置、実験/分析機器などを多数取り入れた。その後、テクニカルセンターの建物は、1963年10月に3階建てに増築されている。
※14)テストコースは、技術本館東側の敷地約10万坪(33万m2)に開設され、時速100kmで走行できる1周約2kmの周回路と、全長200mの波状悪路を装備。1957年は旋回走行試験用のスキッドパッド、振動騒音試験用の石畳路(ベルジャン路)、栗石路を設け、1959年には特殊波状路、よじり路、急坂路を追加し、より広範な車両性能試験が可能になった。
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