四柳社長は、プールクリーナー事業と並び、同社のもう1つの自社製品であるボーディング・ブリッジ事業について「今年(2015年)の春までは、ボーディング・ブリッジ事業部の受注が重なって、社内はてんてこ舞いだったんです」と語る。
ボーディング・ブリッジは、フェリーに乗客が乗降する際に利用する可動式連絡橋だ。立て続けに同製品の依頼が舞い込んだのは、2010年に鳥取県 隠岐の島の西郷港にボーディング・ブリッジを納入したことがきっかけだった。
西郷港に最新式の可動式連絡橋が納入されたことを、ニュースで知った北海道 利尻島の関係者から問い合わせがあったのだ。その結果、利尻島の鴛泊(おしどまり)港、沓形(くつがた)港、礼文島の香深港、稚内港、宗谷港と、北海道の北端と離島をつなぐ港から5件も発注があったという。
自社開発のボーディング・ブリッジは、1971年から神戸や大阪を中心に、国内の港に次々と納品してきた。ところが、交通事情の変化に伴い状況が一変した。本州と四国、九州を結ぶ橋が架けられ、 島へ渡る手段がカーフェリーから車になった。フェリー会社は乗客が激減し、統廃合を余儀なくされた。同社のボーディング・ブリッジ事業部にも大きな影響が出た。
2010年に舞い込んだ西郷港からの発注は、以前の装置が老朽化し、新設する必要があったためだ。バリアフリー法によって、公共機関が設備をバリアフリー化する際には、国が設置費用の半額を補助するというのも受注の後押しとなった。新型機の導入で、待合室から船までスロープで移動できるようになり、高齢者も車いすの方も船への乗降がラクになる。その利便性が高齢化が進む離島で高く評価され、受注が相次いだのだ。
ボーディング・ブリッジの受注が厳しいときには、プールクリーナー事業に勢いがあった。一方、プールクリーナーが各施設に行き渡り、受注が落ち着いた頃に、今度はボーディング・ブリッジの依頼が続いた。このように2つの自社製品事業がその時々の状況を察知したように、四柳の経営を支えてきたのだ。「運がいいんでしょうね」と四柳氏は言うが、果たして運だけだろうか。
同社の会社の屋台骨を支えてきたのは、ポンプ事業だ。ここで毎月の売り上げを確保できているから、自社製品をじっくりと育てることができた。市場環境が厳しい時でもこうして育て続けた2つの自社製品事業が支え合い、うまい具合に補完し合うことで乗り越えられたのだ。
中小製造業が自社製品を開発し、さらに安定的な売り上げを確保することは容易ではない。しかし四柳は自分たちの強みである技術を活用しやすい分野で、さらに大手が参入できないようなニッチ市場にフォーカスしたからこそNo.1になれた。そしてNo.1になるために顧客の要望に対し、長期間にわたって真摯(しんし)に製品の改良や保守を続けてきた。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.