國本工業(従業員数61人、浜松市)は自動車の排気部品・パイプの製造を手掛け、「第3回 モノづくり日本大賞 経済産業大臣賞」など幾つもの受賞実績を誇る優れた企業です。その前身は実は織物屋。1950年代半ばから機械設備を導入し、1965年に現社長の國本幸孝氏が経営を任されるようになりました。
同社は長らくオートバイのメインスタンドやサイドスタンドの生産を手掛けていました。ただし、売り上げのおよそ9割はオートバイ企業A社からの受注によって占められていたのが実情でした。HY戦争の混乱は何とか乗り切ったものの、2000年にA社の経営が悪化。大規模な海外展開が断行されていきます。当時、従業員30人と企業規模の小さかった國本工業は海外展開への同行も要望されることなく、取引を打ち切られてしまいました。
経営危機に陥る中で、國本氏は、
「なぜ、海外展開についていけなかったのか」
と自社の力不足を反すうする毎日を過ごしたと述懐しています。
そんな折、國本氏は自社が大手自動車企業B社に口座を持っていることに気が付きます。
その昔、國本氏の古い友人がたまたまB社に務めていたことを縁に獲得した口座でした。この口座を土台に、同社はB社の協力企業と取引を開始する、すなわち四輪自動車産業に参入することを企図します。加えて、國本氏は過去の苦い経験を踏まえ、自社に確固たる組織を構築していくことを強く志向しました。
例えば、ある部品の量産を依頼された場合、材料の調達費から設備機械の減価償却費、人件費などを詳細に分析し、「どうすればよりコストを低減できるか」を突き詰めていきました。受注した部品1点ごとにこうした施策を繰り返していった結果、同顧客から依頼がきた時点で、「どうすれば利益が出るのか」の見通しを瞬時に立てられるようになったのです。その上で、「コストの低減」を主軸とし、徹底的に自動化を図った独自のラインも構築していきます。
もともと、國本工業にはモノづくり現場に溶接ロボットや自動機を積極的に導入してきたという歴史がありましたが、そのことも一助となっています。
一方、2002年には地域の産業支援機関の推薦もあり、トヨタ自動車主催の「新技術・新工法展示商談会」に出展する幸運にも恵まれます。そこからおよそ5年間、上述した組織づくりと同時に、トヨタに対して必死の営業努力を繰り返します。その結果、2007年 にトヨタ自動車と直接取引するようになったのです。徐々に取引を拡大し、今ではハイブリッド車に関する軽量化・低コスト化を目的とした開発案件を受注するまでに至っています。
現在、國本工業では自社のパイプ製作の技術を
の5つに区分して、炭素鋼・ステンレス鋼などの鉄鋼、アルミ・チタンなどの非鉄金属といった材料ごとに、
「何がどのくらいできるのか」
を厳密に数値化・事例化しようとしています。
その上で、
「パイプ塑(そ)性加工に関して、経験に頼らないですむように再現性を確立する」
「技術開発の方向性を明示する」
「顧客により詳細な見積もりと技術提案を提示する」
ことを企図しているのです。こうした自社の改善に関する飽くなき思いの背後には何があるのでしょうか。國本氏はこの問いに対し、
「仕事があることを当然だとは思ってはいけない」
と答えています。まさに、さまざまな危機を乗り越えてきた経験が今の國本工業を形作っているといえるでしょう。
以上、オキソと國本工業の事例を紹介しました。両社とも「受注を獲得した」「昔からの口座があった」「展示会に参加した」と、たまたまの幸運を皮切りに危機を克服し、新たな事業を展開しています。なぜ両社は幸運をつかみ取れたのか。
経営学では、経営者の個人的な信念や卓越した洞察が優れた経営業績につながるとしています。本稿の事例からは、問題意識を持ちながら、進むべき道を洞察し、信念を持って企業全体の能力を向上させようとする、そうしたことを常日頃から幾重にも実践する経営者の姿が浮かび上がってきます。そこに、幸運を必然にする術(すべ)が隠されているのではないでしょうか。
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