戦略的パートナーシップから経営統合に検討が移ったのは2024年12月だった。それまでに言及した特定の分野での協業ではなく、踏み込んだ変革が必要だという認識を日産とホンダが共有した。経営統合に踏み込むには、どちらかに依存することのないよう財務面で強く自立していることが不可欠だった。
1 | 車両プラットフォームの共通化によるスケールメリットの獲得 | ・商品力向上や原価低減、開発効率の向上、生産プロセスの共通化による投資効率の向上 ・販売台数や稼働台数の拡大による台当たりの開発コスト低減。バッテリーを活用した電力調整など新たなサービスでのスケールメリットの活用 ・エンジン車や電動車の各モデルについて短期~中長期で車両の相互補完 |
---|---|---|
2 | 研究開発機能の統合による開発力向上とコストシナジーの実現 | ・SDV向けプラットフォームの基礎的要素技術の研究、バッテリーやeAxleなどEV主要部品の仕様共通化や相互供給を既に検討中 ・経営統合が実現した後は、基礎研究を含む研究開発機能全体でより一体化することを目指す。重複開発を統合することで開発費削減 |
3 | 生産体制の最適化 | ・工場の相互利用により、稼働率を向上させて固定費の大幅削減を目指す |
4 | 購買機能の統合によるサプライチェーン全体での競争力強化 | ・研究開発機能の統合や生産体制の最適化の効果を最大化するため、取引先と協調しながら共同調達などサプライチェーンの高度化と最適化を進める |
5 | 業務効率化によるコストシナジーの実現 | ・両社の業務関連システムや間接業務などの統合、機能の高位平準化による大幅な経費削減 |
6 | 販売金融機能の統合に伴うスケールメリットの獲得 | ・販売金融機能の事業規模を拡大して新たな金融サービスなどを提供する |
7 | 知能化や電動化に向けた人材基盤の確立 | ・両社の人事交流や技術交流を通じて人的スキルを高度化する ・人材市場への相互アクセスによる優秀な人材の確保を目指す |
2024年12月に経営統合の協議が始まった時点では、ホンダが取締役の過半数と代表取締役社長を指名する共同持株会社を設立し、日産とホンダをその完全子会社とする体制を前提にしていた。
三部氏は「(前提となる体制で)厳しい判断を迫られる局面になったとき、ホンダと日産の双方の代表者で構成される共同持株会社の取締役会では、議論に時間がかかり判断のスピードが鈍る可能性が否定できない。そのため株式交換による経営統合をホンダから日産に提案した」と2024年12月以降の経緯を説明した。
共同持株会社の中での議論や、共同持株会社と事業会社のコミュニケーションで、意思決定に時間がかかる体制になることも懸念だったという。当初の計画では2026年8月に共同持株会社が発足するため、シナジー効果や成果が出始めるのは2030年の手前、シナジー効果を最大限に刈り取れるのは2030年以降だと見込んでいた。
基本合意書を締結した後の議論の中で、「共同持株会社で新たなガバナンス体制を構築していくのは当初の想定よりもはるかに多くの時間や労力を必要とすることが具体的に分かってきた。本来やりたかったこと(SDV時代の生き残りに向けた競争力向上)以外に時間や労力を使っている場合ではないと考えた」と三部氏は株式交換に切り替えて提案した理由を語った。
基本合意書締結時に株式交換による経営統合を提案しなかったのは、「締結前には突っ込んだ議論ができず、共同持株会社の体制の問題点が分かっていなかった。共同持株会社でホンダが最初にリードする体制で行けるのではないかと当初は考えていた。詳細な検討を進める中で、競争力のあるSDVとビジネスをスピーディーに作る観点ではこの体制が十分に機能しないことが分かった」(三部氏)というのが背景にあった。
日産の子会社化を提案したのは、ホンダが親会社、日産が子会社となり、“ワンガバナンス”の体制を早期に確立することが、「競争環境の変化や激化に対応し、生き残っていく」という当初の最優先事項を満たせるという意図があった。また、共同持株会社による経営統合と同じく、両ブランドを存続させ、両社の従業員にさまざまな活躍の機会を提供する方針を維持して子会社化を打診した。
内田氏は「シナジー効果を得るために迅速かつ効率的に経営統合を進める必要があるという理由だったことは理解していた」とコメントした。
「取締役会で何度も議論を重ねた結果、提案は受諾できないという結論に至った。日産がホンダの完全子会社になった場合、自主性がどこまで守られるか、日産のポテンシャルを最大限に引き出せるのか、最後まで確信を持つことができず、提案は受け入れられなかった。経営統合を成功させたい気持ちは強くあり、1社で変化の激しい経営環境でやっていく難しさもあった。提案をどう考えるか真摯に議論したが、日産として望んでいたのは共同持株会社の体制だった」(内田氏)
三部氏は「株式交換という提案は日産にとって相当厳しい判断を迫られると想定していた。合意の撤回の可能性も考えていた。しかし、それ以上に恐れるべきは、経営統合が遅々として進まず、将来さらに深刻な状況に陥ることだ。経営統合を必ず成功に導くという強い決意と覚悟を込めて提案した」と振り返った。
ホンダは日産との経営統合に未練はない。「本当にやりたかったことは、競争力のあるSDVとそのビジネスを作るということだった。敵対的なTOB(株式公開買付け)をやってまで日産を手中に収めたいというような考えはないし、今後もその予定はない」(三部氏)
一部の報道では「日産の事業構造改革にホンダが納得しなかった」「株式交換比率で折り合わなかった」とされていたが、三部氏は否定した。株式交換比率について具体的な数値を双方が提示した事実はなく、「株式交換比率は経営統合の枠組みについて合意できた後でデューデリジェンスの内容を踏まえて議論、交渉するものだ」(三部氏)と説明した。
経営統合を国が主導したという報道については「日産とホンダのトップ2人の話の中で決まって検討を始めたので、国の関与は一切ない」と三部氏は否定した。
内田氏は鴻海精密工業からのアプローチについて「当社のマネジメントレベルと話をしたというケースはない」と報道を否定した。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.