高級キーボードの草分け的存在ともいわれるPFUの「Happy Hacking Keyboard」。その最新作が2023年10月に発売された、「HHKB Studio」だ。誕生の背景にある、積み重ねられたHHKBの歴史と、HHKB Studioに詰め込まれた設計思想などを伺った。
インタフェースとしてのキーボードに快適性を求める動きは、コンピュータというものがパーソナル化して以来、ずっと続いている。究極の使い心地を求めて、数万円のキーボードをついつい何台も買ってしまう人もいるが、そこを極めていった結果、自作キーボードにたどり着いたという人もいるわけである。
いわゆる高級キーボードの草分けともいわれるのが、PFUの「Happy Hacking Keyboard」(以下、HHKB)だ。省スペースながらその快適な打ち心地の虜になり、自宅用と会社用に2台買ったり、持ち歩き用のキャリングケースまで購入するというほどの、厚いファン層を持つ製品だ。
そのHHKBのラインアップに新たに登場したのが、2023年10月に発売された「HHKB Studio」(以下、Studio)である。合理的なキー配列はそのままに、ポインティングスティックとマウスボタンを搭載し、さらにボディーの翼面にジェスチャーパッドを設けて、完全にオールインワン化した。
発売と同時に人気商品となったこのStudioの誕生の背景には、やはりHHKBの長い歴史の積み重ねがある。今回はHHKBの歴史とともに、Studio登場に至るまでの経緯を伺うことにした。
お話を聞いたのは、PFU ドキュメントイメージング事業本部 販売推進統括部 統括部長の山口篤氏、同本部 エバンジェリストの松本秀樹氏、同本部 販売推進統括部 SSKB販売推進部 HHKBプロモーション課 課長の八野裕氏である。
筆者としても、キーボードメーカーの方にお話を伺うのは初めてのことで、貴重な話をたくさん聞くことができた。PCの歴史をひもときながら、じっくりお読みいただきたい。
――そもそもPFUさんは、HHKBの初号機を出す前からキーボードを作っていたんですか?
松本秀樹氏(以下、松本氏) 私たちは以前、富士通グループの一員でしたが、富士通のビジネスPCやオフィスPCなど中核となる製品群から、ローエンドのコンピュータまで、開発と製造を担っていた時代がありました。当時のコンピュータは本体、ディスプレイ、キーボード、マウス、プリンタを1つのシステムとして組み合わせて納入するのが常識の時代でした。そのため、コンピュータプロダクトの1コンポーネントとして、キーボードの開発と製造も長らく手掛けていました。
ただPFUはキーボードの専業メーカーではないので、自社工場でキーボードそのものを組み立てていたわけではありません。キーボード専門のさまざまなサプライヤー、メーカーがありますので、 そこに私どもの仕様を提示して、作っていただいておりました。
――1996年にHHKBの初号機が発売されるわけですが、その原型は日本のコンピュータのパイオニアともいえる東大名誉教授の和田英一先生が考案されたものと伺っています。実際、PFUと和田先生との出会いは、どういうきっかけがあったのでしょうか。
山口篤氏(以下、山口氏) 和田先生が富士通研究所の顧問として入っていただいていた当時、社内の技術論文の中で、キーボードの記事を寄稿していただくということがありました。その中で、「キーボードはこうあるべきだ」という論文を出していただきました。それから和田先生の思いを実際に製品として形にしていこう、ということで1992年ごろに開発が始まりました。
松本氏 ビジネスとしてやるといった話ではなくて、日本のコンピュータのパイオニア的な存在である和田先生が本当に欲しいと願っているキーボードであるならば、コンピュータメーカーとしてもやっぱり作るべきだろうというのが最初の思いでした。今で言うところの、クラウドファンディングみたいなものですね。このぐらいの台数を作れば1台3万円ぐらいで売れるから、じゃあ台数限定で作ってみようよ、と。先生の夢をかなえてあげようというのが、スタートでした。
――折しも1995年末に日本でもWindows 95が登場して、一躍世の中がPCブームになったわけですけど、そうしたことも追い風になったんでしょうか?
山口氏 いえ、当時はまだUNIXワークステーションや独自OSのパソコンなど、さまざまな開発環境が乱立していた時代です。各社ともキーボードに一定の規格がないまま、いろんなファンクションを付けてみたりしていました。すると、PCが変わるとキーボードの構成も変わってしまうので、必要な場所に必要なキーがない、打ち方を変えなければいけない、という状況が生じます。当時の和田先生は、キーボードだけは、自分の理想とする配列のものをつなぎ換えて使いたい、とお考えになったわけです。
確かに初代HHKBはWindowsの黎明期とオーバーラップしますが、エンジニアはMacもWindowsもUNIXワークステーションも使います。その全部で使える、コンパクトで使いやすい究極のキーボードはなんだろうと和田先生とお話をしながら、初代HHKBを組み上げていきました。
松本氏 当時はそもそもキーボードが単体で売っているという時代ではありませんでした。秋葉原に行くとマニアの人たち向けの特殊キーボードは少数あったりしましたが、今のようにいくらでも手に入るという時代ではなかったです。
――キー配列としては、(Fnキーとの併用で使用する)専用のアローキーもないっていうぐらい絞り込んであるわけですけど、一般に販売した時に市場から「やっぱりアローキーはいるよね」みたいなリクエストはなかったんでしょうか。
山口氏 プログラマーの方はアローキーよりも、コントロールとエンター、その他いろんなキーを駆使して作業を進めていくので、特に矢印キーで何かをするということ自体がそれほど多いわけではありません。
松本氏 (初代HHKBは)アローキーの有無で文句を言う人に向けて作ったわけではなくて、ニッチな、本当のプロフェッショナルプログラマーが欲しいというキーボードとして作りました。ですから、ある意味で99%の人たちは捨てちゃっているわけですよね。「このキーボードじゃなきゃ死ぬ」って感じてくれる人のために作ったキーボードでした。
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