ファクトリー・サイエンティスト養成講座を主催するのは、慶應義塾大学SFC研究所ソーシャル・ファブリケーション・ラボだ。監修する田中氏はデジタルファブリケーションや3D設計/生産/製造システムを専門としており、2012年に日本で初めて市民参加型工房「Fablab(ファブラボ)」を鎌倉に立ち上げた人物でもある。
製造業におけるデジタルファブリケーションの応用可能性を検討していた田中氏は、2018年初頭に由紀精密の大坪氏と出会う。大坪氏は製造システムの開発や工作機械のIoT化を手掛けた経験を持ち、グループ企業も含め、中小製造業の現場にも明るい。2人の会話ははずみ、日本における製造業のデジタル化の停滞を解決するため、トップダウンではない“現場の人間”を中心としたアプローチを探った先に、「ファクトリー・サイエンティスト」という職能の構想が生まれた。
そして同年、経済産業省の「産学連携デジタルものづくり中核人材育成事業」に採択され、慶応大学と由紀精密による共同のトライアル講座を実施。そこで、ある受講者は金型の温度計測と記録を自動化するIoTデバイスを試作。受講後に完成させたシステムを工場に導入すると、自動化する前と比べて一日当たり3時間もの時間を短縮することに成功したという。
こうした事例を手応えに、新たにローランド・ベルガーを協力企業として迎え、講座の実施体制を本格化。2019年春に公式サイトをローンチし、受講者を一般募集して合宿形式の講座を実施することとなった。
データサイエンスやIoT分野で特定のソフトウェア/ハードウェアを掘り下げて学ぶ講座は多く存在する。ファクトリー・サイエンティスト養成講座がそれらと異なるのは、個々のツールやアプリケーションの使い方よりも、現場の職人がデータを取得して業務に反映するまでの一連の体験を重視していることだ。
講座の内容は、ファクトリー・サイエンティストが目指すべき人物像と密接に関係している。ハードウェアを駆使して適切にデータを取得する「データエンジニアリング力」、収集したデータから有用な情報を導く「データサイエンス力」。そして、それらの情報を基に戦略を練り上げ、データを説得材料としてビジネスに活用する「データマネジメント力」。これら3つのスキルを用いて製造業のデジタルトランスフォーメーション(DX)を推進するのが、ファクトリー・サイエンティストである。
これらのスキルを短期集中で一貫して習得することで、現場で働くオペレーターや現場統括責任者は日頃の取り組みから業務改善のヒントにつながるデータを集め、経営者に対して有効なプレゼンを行うことができる。実装のフェーズにおいては、小規模なシステムであればファクトリー・サイエンティスト自身で開発やメンテナンスを行い、外部に発注する際にも適切な仕様と規模感の把握や最低限のプロトタイプ製作を通じて交渉を進めることができるだろう。
大坪氏によれば、「IT化やIoTの導入で工場の課題が解決できるという期待は漠然としたもので、具体的な進め方が分からず、外部に相談する際のハードルやコストが高くなるケースが多い。現場で働く人自身がファクトリー・サイエンティストとしてのスキルを身に付けることで、課題を自ら解決するボトムアップのアプローチによる業務改善が達成される」という。
合宿が終了した後にも、疑問や有益な情報がシェアされる場所として開設されたグループウェア上で受講者と講師陣のやりとりは続いている。合宿から1カ月後に行われたオンラインミーティングでは、受講者が自身の会社にシステムを導入するために奮闘しているという報告も行われた。
ツールが高速にアップデートされる現代では、マニュアルを作ったとしてもすぐに陳腐化してしまう。意欲ある人々で構成されるコミュニティーによって、柔軟に対応していくアプローチが製造業にも求められるだろう。自ら問題解決に取り組めるファクトリー・サイエンティストを全国に広げるべく、次回以降の養成講座の開催も検討されている。時期や形式などは「これから検討」とのことだが、興味のある方はファクトリー・サイエンティスト養成講座のWebサイトをぜひチェックしてみてほしい。
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