無意味な批判や規制ではなく、将来に向けた建設的な話し合いへ――ジャーナリストの林信行氏が“3Dプリンタ銃”事件で浮き上がった、3Dプリンタに関するさまざまな問題や解決案を整理した。3Dプリンタは、かつてPC業界が歩んだ同じ道を歩んでいる!?
3Dプリンタで拳銃製造の問題(関連記事:殺傷能力がある拳銃を作れる3Dプリンタは法的に規制すべきか?)に関連して、茂木経済産業相は2014年5月9日、「銃砲の製造は、既に武器等製造法の規制の対象となっており、現時点において、追加的な規制をすることは考えていないが、不当な用途へ転用されることを防止するため、実態なども見極めつつ、関係省庁とも連携の上、検討してまいりたい」という考えを示したという。妥当な考えだと思った。
読者の皆さんの家庭にあるナイフやフォーク、ハンマーやアイロン、自動車やライターはほとんどの人にとっては健全な生活用具だ。しかし使う人が使えば、傷害事件の凶器になる可能性もある。道具というものはそういうもので、3Dプリンタも同じだ。
「盛り上げては落とす」のが好きなメディアの中には、今回の一件以降、3Dプリンタの危険性ばかりを強調するところもあるようだ。しかし3Dプリンティング技術は、家庭用の電気や水道と同じで、今後、広がることはあってもなくなることはない。もし、電気や水道が悪用されたからと、先人がこれらを日本だけ法律で規制していたら、一体日本はどんな国になっていただろうか。やたらと規制をしても、長い目で見ると誰の得にもならない。
それに3Dプリンタの販売や流通を制限するような対策を取っても、正直、それはあまり意味がない。というのはネットを検索すればRepRapと呼ばれる簡易な3Dプリンタを自作する方法ならいくらでも見つかるからだ。
では「全く対策が不要か」といえば、そうも思わない。私が考える対策の1つは、まだまだ3Dプリンタの世帯普及率が低く一部の趣味人の道具である間に、業界全体で話し合い、普及価格帯の3Dプリンタで製造したモノにトレーサビリティ、つまり「誰によって作られたか」をある程度、追跡可能にする技術を組み込むことではないだろうか。
一番よいと思ったのが、3Dプリンタで使う素材(フィラメント樹脂)に、人でいうところの指紋やDNAのような「利用者を特定するヒントになる情報」を埋め込んでおくことだ。もし製作物の仕上がり品質に影響を与えず、素材にそうした情報の組み込みが可能になれば、将来3Dプリンタを使って起こり得る犯罪の多くを防げるだろう。実際に現在、そういう技術があるわけではなく、開発中のニュースも聞かないが、今後、起こり得る3Dプリンタの悪用を防止するのに最も効果的であり、業界全体で投資して開発する価値があると思う。
3Dプリンタの悪用は、何も拳銃を作ることに限らない。恐らく今後、より深刻になるのは著作権や知的財産権で守られた構造物がスキャン情報を元に複製されることだ。キャラクター商品を複製して悪用する人もいれば、自分のボディスキャンのデータがストーカーなどに流れて悪用される、ということもあるかもしれない。こうした他者に迷惑が掛かるものが作られた時、作り手の特定につながる情報があるだけで、軽い気持ちでつい悪さをしてしまう可能性がある大勢の人を悪の道から救うことができる。
もちろん、こんな方策を取っても、経済力などを行使して、3Dプリンタで銃を作ったり、著作権違反をしたりする人はいるかもしれない。しかし、そういう人たちはそういう人たちで、そもそも3Dプリンタ以前の問題だ。
もちろん、3Dプリンタには、フィラメント樹脂以外の素材を使うものもある。紙を使うもの、石膏(せっこう)を使うもの金属を使うタイプもある。ほとんどの3Dプリンタは「ラピッドプロトタイピング」という、プロトタイプ製作(試作)用のものだが、中には商品として販売できるような商業品質の仕上げができる「ラピッドマニュファクチュアリング」用のものもある。また医療用の生体系3Dプリンタなど特殊な用途のものもある。
こうした工業系や専用用途の3Dプリンタでは、素材に余計な情報を入れることが邪魔になることもあるので、そこは配慮すべきだろう。ただ、そうした特殊3Dプリンタは価格帯的にもそれほど台数が出るものでもない。購入時の審査や登録など、少しだけ販売のハードルを上げてもよいかもしれない。ただ、会社の3Dプリンタを使って悪さをする人もいるかもしれないので、その対策として出力した情報を履歴として残す機能などはあるといいかもしれない。STLファイルをそのまま残すと容量が大き過ぎる場合もあるかもしれないが、それを3DレンダリングしたJPEGなどであれば相当数の履歴を残すことができるはずだ。
もちろん、こうした取り組みは、ただ1社でやっても意味がない。今すぐにでも3Dプリンタメーカーの業界団体を作って、今後、「製品ラインアップをどう分類すべきか」といった製品定義についての話し合いや、使用するデータファイルのフォーマットについての話し合いも行ってもよいだろう。今日一般的なSTLファイルは、四半世紀以上前に作られたファイルフォーマットであり、3Dプリンタ出力時の失敗も多く、必ずしも理想のファイル形式とは思えない。
協議で、もっと現代的なファイルフォーマットを作るだけでも、3Dプリンタの著しい進化につながるはずだ。筆者は3次元データファイルの中に著作権情報も盛り込めるようにするべきだと思っている。もし、可能なら通常の著作権情報に加え、他者の自由な再利用を促すクリエイティブコモンズ的な情報も組み込めば、ネット上でのフリー3次元パーツ、オープン3次元パーツの流通がさらに盛んになり3Dプリンタを利用する文化も一気に前進するのではないか、と想像を巡らせている。
今ならまだ大手3Dプリンタメーカーも数が少なく、業界全体の動向が何とか把握できる状態だ。しかし、これが後少したつと、3Dプリンタに関する幾つかの重要特許の期限が切れて、参入会社が一気に増えてしまい、全体的な動きがしにくくなる。
場合によっては1990年代中頃のUNIX(コンピュータ用基本ソフトの1つ)の規格分裂のときのように永久にまとまることのない、対立した業界団体が2つできる、といったことにもつながりかねない。業界全体設立の動きを作るとしたら、タイミングは今しかないと思っている。
3Dプリンタは「不可逆の進化」だと前半で書いた。ただ、今日の3Dプリンタは、まだまだ1980年代のPCのような極めて幼稚な製品だ。当時のPCといえば、メーカーごとにハードの形も画像や音声の表現力もバラバラなら、基本ソフトが、1メーカーどころか1製品ごとでバラバラになっていた。同じNECのPCでもPC-6001とPC-8001ではソフトに互換性がなく、同じシャープのほぼそっくり同じなmz-80kとmz-80cですら互換性がなかった。そこから1981年にMS-DOSが誕生、普及し、Windowsが登場して大きなうねりとなった。しかし、コンピュータウイルスやハッキングの問題は1980年代から指摘されていたにもかかわらずMS-DOSやWindowsでは本質的な対策が取られてこなかったため、今やPCの能力/エネルギーの何分の1かは生産的な作業とは何ら関係のないマルウェアの監視に浪費され、それでも流通してしまうマルウェアによって、毎日のように情報漏えいなどの事件が起きている。
結局、こうした問題の本質的な解決策をもたらしたのは、26年後のiPhone登場で、iPhoneがAppStoreという管理されたアプリ流通の仕組みが、今ではPCに逆輸入されている。3Dプリンタ業界は、PC業界の過ちを繰り返してはいけない。
日本で起きた今回の事件が、3Dプリンタ業界に長い目を見据えた全体的な話し合いを始めさせるきっかけの1つになればよいと思っている。
林 信行(はやし のぶゆき)
フリーランスのコンサルタント。25年近くジャーナリストとしてコンピュータ業界やインターネット業界の最前線を取材し、次に訪れるトレンドをTV、新聞、雑誌、Web媒体などで分析、解説してきた。加えてプロダクトデザイン関連の動向も取材しJames Dyson Awardの審査員やJDPのデザインアンバサダーも務める。現在ではスマートフォン、ソーシャルメディアそして3Dプリンティングの3技術が21世紀後半の生活や社会をどう変えるかを分析。その知見を企業のブレストやコンサルティング(中長期での製品戦略や海外戦略、メディア戦略の指南)、学校や企業での講演活動で生かしている。コンピュータ関連や経営指南書など多数の著書があるが3Dプリンティング関連では「林信行の「今そこにある未来」セミナー(1) 3Dプリンティングによる第3次iT革命 」(カドカワ・ミニッツブック)が最新。Google社やマイクロソフト社のWebサイトでも連載をした実績を持つが、現在はベネッセ教育総合研究所にて、日本の教育最前線を紹介する連載「SHIFT」を執筆中。
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