単に、変遷だけを見ていても面白くありませんね。次は、3D CADの歴史を4つの期に分け、そこから“何か”を読み取っていきましょう。
まず、CAD/CAM/CAEの黎明期である70年代から見てみましょう。
この時代、CADなどに限らず、ITは非常に高価でハードウェアもメインフレーム機が主流でした。主要なCADやCAEは、商用のものは存在せず、大学/研究機関や世界に名前の知られた大企業が開発を進めてきました。
水野の理解の範囲ですが、CADについてはどちらかというとシステムの専門家が作り上げていったのに対して、CAEは実際に計算を必要としていたエンジニア自身がベースを作っていったと考えています。
いまでこそ、設計者自身が3D CADを使って、設計という仕事の中でモデリングしていますが、当時の設計者はドラフターを使って設計をしていました。CADは専任オペレーターが使うものでした。
いや比較的最近だって、そうかもしれません。例えば1990年代前半、私が仕事の関係でFord Motorに3カ月ほど行っていたときを思い出すと、「エンジニア」と呼ばれる職種の人たちはCADを触っていませんでした。この当時も、CAD専任のオペレーションをする方たちがいました。
一方でCAEを見てみると、そもそも、「しっかりと機械工学等の専門知識を持っていないと作れない」ということもありますが、もともとは構造計算などを自分でやらないといけない技術者自身が作っていたという印象でした。
そうそう、私が人生で最初に触ったCAEソフトとは、実は私自身の自作のプログラムでした。修士論文の中で、複合材料を用いて幾何学非線形を考慮した構造計算を行う必要があり、かなり苦労をして作りましたが、これも必要に迫られてのことでした。
私がこの分野の駆け出しの頃、5年弱くらい非線形CAEの「MARC」に携わっていましたが、当時、ユーザーの皆さんの中には、自身でユーザーサブルーティンを書いて計算する人も珍しくありませんでした。
さて、現在も使用されているツール群で、この時代に世の中に出た主要な商用CADは存在せず、むしろCAEの「Nastran」や「MARC」「Abaqus」などが徐々に商用製品として使用され始めました。
とはいえ、これらのCAEツールも実際に使える企業はごく限られており、どちらかというと大掛かりな組織が(あるいは国が)威信を賭けた――と言うと大げさかもしれませんが、それなりの大事業であったでしょう。そして、ソフトウェアもその中の1つの重要なツールとして潤沢な資金を投入してできたのではないでしょうか。
実は、80年代までの時期においては、日本のこのような設計ソフトウェアの実力は、欧米と比較しても決してひけをとらないものだったかもしれません。というのも、現在使用されている主力システムの多くが、どこかの企業でのインハウスシステムにそのルーツを持つことは珍しくありません。この頃、日本の自動車メーカーも自社システムの開発を進めていました。
この時代にコンピュータやそこで使用するシステムを作るということは、大変にリソースの掛かることでした。アメリカやフランスでは、まず航空宇宙・防衛といった産業で、そして自動車産業でという国家的にも重要な産業で発達してきていましたし、日本においても、いまでも日本の産業をけん引する自動車産業といった非常に裾野が広い産業で発達してきました。
言ってみれば、ここまでがCADのようなテクノロジーが、商用的な意味合いよりも技術的な意味合いを大事されて発達してきた黎明(れいめい)期、あるいは別の言い方をすると「揺りかご期」(この言い方が適切かどうかは分かりませんが……)のような時期かもしれません。
1980年代がCAD技術の1つのターニングポイントといえるのかもしれません。ここで現在日本でも使用されている主要な商用製品が登場してきました。別の言い方をすると、企業のインハウスシステムという揺りかごの中でしか存在できなかった、システムが商用製品として世の中に飛び出してきたのです。
ちなみに、現在使用されているシステムが既に当時高度であったインハウスシステムの延長か……、と言えば、どうも必ずしもそうではないようです。実際、現在の主力CADでインハウスだったものがCATIA。それにあえて加えるなら、NXのルーツの一部でしょうか。
ただ、いずれにしても現存する主力CADが世に出てきたのは、ほぼこの時代です。
最初、1980年にMcDonnell DouglasのUnigraphics Groupが3Dモデリング機能を搭載した「Unigraphics」(通称「UG」)をリリース。次いで1981年にはダッソー・システムズ社が設立されCATIAを、1982年にはSDRCが「I-DEAS」をリリースしました(もっとも、この頃のSDRCの印象は、やはり解析でしょうか)。
UnigraphicsとI-DEASは、現在は「NX」(シーメンスPLMソフトウェア)に統合されている。
そして、パラメトリックと言えば、PTC。同社が最初のPro/ENGINEER(通称「Pro/E」)をリリースしたのが1988年でした。
まずこの時期に導入を図ったのは、やはり大手の自動車関連の企業、それに大手家電メーカーが中心でした。
ここで一気に弾みがついて、さらにこの後のミッドレンジCADの登場を待つといった感じでしょうか。
有名CADが続々と現れたこの年代について、もっと詳しく知りたいところかもしれませんが、以後の回のお楽しみとさせていただきましょう。
当時の日本において、3D CADの普及状況は、大手のメーカーといえども、まだ“試験的に入れている”といった状況だったという記憶です。
1990年代前半から半ばにかけて、まだ全面的に商用CADで開発する企業は少なく、主力はメーカーのインハウスCADでした。当時のCADの価格は高額で、中堅以下の企業が導入するという例は少なかったでしょう。とはいえ、徐々に普及への道が開け出したのは確かです。
1995年には、最初の「SolidWorks」が出荷されました。CATIAなどの、俗にいう“ハイエンドCAD”と比較すれば、機能的には確かに見劣りするところはあったでしょう。しかし“3D CADを広める”という意味では、その登場は、非常に意味があったのではないでしょうか。
さらにPDMが見られるようになったのも、この頃でしょうか。当時のSDRCの「Metaphase」を始めとする、3D CADによる設計データを管理する仕組みの普及が始まったのもこの頃でしょう。
当時、私自身もかなりどっぷりと、Metaphaseに関わっていたので、いろいろなことを思い出します……。
普及期までは、「3Dデータは作成することに意義ある」、というと言い過ぎかもしれませんが、「データの作成」そのものに目が向いていたのではないでしょうか。
しかし、3Dデータを作成している人であれば誰もが感じられると思いますが、3Dデータ作成にはコストが掛かるものです。同じ設計データを作るのであれば、紙や2次元と比べて3次元の方がデータ量が多くなるで、当然と言えば当然だと言えます。
なので、3次元のデータを単に、「設計から製造に渡すためだけのデータ」と考えてしまうと、もったいないという話になります。
ということで、この「活用期」から、徐々に設計データをカタログ用のCGデータや、映像として活用する、さらには「RPですぐに出力してみる」など「活用」という面に視点が移ってきています。
で、この「活用期」はいつからか? 10年単位くらいで区切ることができればスッキリしてよいのですが、それは少し難しいようです。私の感覚からすると、2007〜8年くらいです。
というのも、その頃からようやく、これまでCADとCGなどとそれぞれ独立していたソフトが連携を意識するようになってきたと思えるからです。ユーザーサイドでも、異業種が3次元を介して交流することを意識するようになったのもこの頃でしょう。
建築業界が3Dデータを意識したのは製造に比べると遅かったとは思いますが、BIMなどの取り組みによって、3Dデータを活用した取り組みが急速に普及していますね。そういう意味ではまだ「普及期」にあるともいえるかもしれませんが、「活用」も同時進行で進んでいるように思えます。
さらに、これまで3次元を活用している産業は、ある意味でサイロのようになっていて、異業種交流的なものも少なかったでしょうが、ここ数年CGをメインに使う映像やゲームなどの産業と、CADデータを活用する製造業関連の企業がコラボレーションを進めて新たな事業展開を進める例も見受けられ、アウトプット先が複数になってきています。
何となくつらつら、私の見解によるツールの変遷の概要を示してみました。次回以降は、一気に歴史をさかのぼって、“プレ製造業IT”の時代に旅をしてみたいと思います。
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