さて、このEP300は、20ピンのPALの置き換えを狙った製品となった。PALの場合、前回紹介した通り出力段のラインアップが複数種類用意され、目的にあったものを選んで使うことになっていた。逆に言えば、常時複数種類のPALを用意して使い分けなければならないことを意味する。
これに対してEP300は、まずMacrocell(マクロセル)と呼ばれるものを構築した(図1)。
そして、このMacrocellを8つ搭載したものがEP300という構造になっている(図2)。
こうした構造を取ることで、PALの全ての出力段のラインアップをおおむねカバーできていた上に、PALでは不可能な組み合わせも構築できていた(“We did a superset of I suppose all the 20-pin PAL devices that would have been covered by MMI”)としている。つまり、さまざまな種類のPALを全てEP300で代替することを狙い、それが成功したというわけだ。
このようにPALの代替品としては素晴らしいように思えるEP300だったが、大きな欠点は速度であった。EP300の場合、入力から出力までのレイテンシは90ns程度、要するに10M〜11MHz動作でしかなかった。データシートには13.3MHzとか記載されていたらしいが、これは数字を盛ったものであり、実際には11MHzにやや届かないというのが精いっぱいだった。MMIのPALのレイテンシは、定格25ns/最大45nsであり、定格で比較するとEP300の4倍弱高速であり、この点はどうにもならなかった。ちなみに図1と図2で示したEP310は、EP300の高速版でありレイテンシはEP310が最大50ns、EP310-3が最大40ns、EP310-2が最大35nsとなっている。EP310-2だとかなりMMIのPALに近い速度になっているが、完全に追い付くには至っていない。
それでも世の中の顧客の全てがPALのような速度を必要としているわけではなく、そうした顧客にとってはEP300の柔軟性の高さがむしろセールスポイントとして大きく評価されることになる。EP300は1984年に発表されるがこれは大ヒットし、1985年にAlteraは早くも黒字化を達成する。
ちなみにこの時期のAlteraというかEP300の競合となったのはLattice Semiconductorだった。同社もAltera同様1983年に創業したが、CMOSを利用したGALを開発して販売したという話は前回の後半で説明した通りである。Alteraとの違いは、紫外線で消去するUV CMOSのEPROMの代わりに、電気的に消去可能なE2(Electrically Erasable)EPROMのCMOSを利用して構築したことと高速性が売りだった。
LatticeのGALはレイテンシが15nsとMMIのPALよりも高速であり、当時Latticeはこの高速性と紫外線を使う必要が無い点を大きなアピールポイントとし、やはり業界で急速にシェアを伸ばしていった。同様にAMDもPALの欠点だった信頼性の低さ(例えばMMIのPALはチタンタングステンヒューズを利用しており、これが理由で不良率が結構高かった。AMDはここに信頼性の高い白金シリサイドヒューズを採用して不良率を劇的に下げた)を改善したり、22ピンの22V10という「やや大きい」PALを開発したり、という形でシェアを伸ばしていく(この22V10はLatticeもすぐに追従した)。
こうした形で競合メーカーが複数あっても、互いが食い合わずに成長できたのは、プログラマブルロジック市場が急成長していたからだと思われる。そして急成長する市場には、Alteraが次の手を打つのに十分な余地があった。
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