Alteraの創業によるCPLDの萌芽でプログラマブルロジックはさらなる進化へプログラマブルロジック本紀(3)(2/3 ページ)

» 2025年10月01日 06時00分 公開
[大原雄介MONOist]

PALの市場をターゲットにCMOSベースのEPROMによるEP300を開発

 さて、CEOも見つかって最初の仕事は資金調達である。Alpha partnersというVC(Venture Capital)が非常に好意的だったそうで、トータルでは75万米ドルを調達できたが、これはHartmann氏いわく「マイルストーン達成型」だった。本当の意味で起業に利用できるシードマネーは25万米ドルにとどまり、以後は設定されたマイルストーンを達成するたびに追加の投資が行われるという形だったという。もっとも、この75万米ドルだけではさすがに企業経営を継続していく金額としては大きく不足していたそうだが。

 兎にも角にも資金調達できたことで、Alteraは何を作るかを検討することになる。VCはテストチップの開発を求めたらしいが、Hartmann氏は市場に出ているゲートアレイと競合できる大規模な製品を作りたいと考えていた。一方で、創業後にAlteraに加わったRobert Frankovich氏(同氏もまたHartmann氏のFairchild時代の同僚だった)は、最初の設計は販売可能な最小限の製品(Minimum Viable Product)であるべきだと主張した。

 VCの主張するテストチップは実際の製品と同等の設計の労力が必要であり、それでいて概念実証以上の意味を持たない。また、Hartmann氏の主張は、当時のAlteraの開発能力からすると相当に時間がかかることが予想された。Frankovich氏は、必ずしも最初は大規模なPLD(Programmable Logic Device)である必要は無いというものであり、この議論はFrankovich氏が勝利することになった。かくしてAlteraは市場調査を行い、キラーアプリケーションを見つける。それは、MMIが提供するPALの市場だった。

 前回も説明したが、PALはバイポーラプロセスで製造されており、またプログラミングにMetal Fuse(メタルヒューズ)を利用していた。バイポーラプロセスは当時最速のデバイスを製造できる技術ではあったのだが、Frankovich氏は必ずしも顧客が最速のデバイスを求めているとは限らないと考えた。さらにバイポーラプロセスは消費電力とこれに伴う発熱が大きいため、大規模デバイスにスケーリングさせることが困難だった(といっても、歴史をひもとくとバイポーラプロセスをさらに高速化/大規模化したECL[エミッター結合ロジック]がこの後登場している。しかし、消費電力と発熱はさらに増え、最終的に行き詰ってしまったから、この認識そのものが間違っていたとは言いにくい)。

 そこでAlteraは、CMOSベースのEPROM(Erasable Programmable ROM)を利用しての製造を選択した。この選択は、前回の後半で紹介したGALとある意味で同じである。

 メモリを消去可能なEPROMは、すなわちデバイスの再プログラムが可能ということを意味する。当たり前といえば当たり前なのだが、PALのような小さな規模ですら、一発で設計通りに動くのはまれというか、そもそも設計が間違っていたりするともう一度作り直しになるが、PALだとその度に新しいチップが必要になる。GALは書き込んだプログラムを後から白紙化できるので、何度でも(といっても限界はあるが)新しい回路をプログラムできるのが非常に大きなメリットであり、Alteraも同じメリットを享受することを狙った。

 また、Alteraはファブレスを選んだので製造は外注する必要がある。最初の製品であるEP300のファブにはリコーを選んだ。製造プロセスは5μmだったそうで、Double-Poly EPROMを利用したとする。面倒だったのはパッケージである。当時、紫外線照射用の窓付きの20ピンパッケージというものが存在していなかったらしく、これの調達にも苦労したなんていう話がある。

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