デザイン思考が優れた思想であり、実務上も有用であることは筆者自身の経験からも説明可能です。以下、筆者が過去に所属していたモビリティメーカーWHILLを例に、デザイン思考の有用性を解説します。
国内有数のハードウェアスタートアップでもあるWHILLは、個々のライフスタイルやニーズに合わせた近距離モビリティ(電動車いすに分類)の開発、製造を手掛ける企業です。WHILLの製品は、従来の電動車いすやスクーターとは異なり、スタイリッシュかつ機能性に富んだデザインが特長です。これにより、ユーザーが自分の身体能力に制約を感じることなく、さまざまな場所を自由に移動することを可能にしています。また、スマートフォン連携、自動運転、見守り機能など、ハードウェア以外の観点でもさまざまな挑戦をし、業界に発展をもたらしました。
そして、WHILLはその製品およびサービスのデザインによって、「免許返納後の代車利用」「空港内での移動」などを含む、新しい需要をいくつも社会に創出しました。この功績は当該業界におけるイノベーションといっても過言ではありません。
課題が複雑で難解であるが故に、数十年間も停滞していた車いす業界。これに変革をもたらしたWHILLの開発過程を、デザイン思考の観点で読み解くことができます。
まず、WHILLの社内で“デザイン思考”という言葉が積極的に使われることはありませんでした(著者が所属していた2018年当時)。ただし、社内の開発工程ではデザイン思考が提唱する思想やフレームワーク自体は使われていました。
最初に言及すべきは、WHILLが「100m先のコンビニに行きたい」という車いすユーザーの課題を解決するために創業された会社であること、その創業者がデザイナー、メカエンジニア、ソフトウェアエンジニアの異なる専門性を持つ3人だったということの2つです。これは[前編]でも触れたデザイン思考の特徴である、「“ユーザーのニーズ”を起点にしている」こと、「解決策を“チームで共創”していく」ことにそっくりそのまま当てはまります。
製品開発の推進においても、常にユーザーニーズを起点に議論される組織文化が根付いており、ペルソナとするユーザーが望むものであるかどうかが機能開発における最重要の意思決定の基準となっていました。WHILLの組織文化では、「このインタフェースで障害のあるユーザーが使えるのか?」「機能は満たしているが、意匠は果たしてカッコいいといえるのか?」というような“ユーザーを中心とした問い掛け”が至る場面で発生します。
また、デザイナー、メカエンジニア、ソフトウェアエンジニアと、専門領域ごとに創業者がいたため、部門間の力関係がフラットであることも、デザイン思考が提唱する共創の場として優れていました。
そして、デザイン思考のフレームワークのうち、WHILLで積極的に用いられていたのはプロトタイピングです。意匠や技術検証において、紙や発泡スチロール、段ボール、木材など、その場ですぐ手に入るもので、いち早くダーティプロトタイプ(ラフなプロトタイプ)を作り、議論の俎上(そじょう)に乗せるこの方法は、アイデアの評価や意思決定の迅速化を可能にしました。
このように、WHILL社内でデザイン思考が注目されていたわけではありませんが、デザイン思考の文脈で客観的な分析をしてみれば、デザイン思考が提唱する思想なしにWHILLのイノベーションは生み出されなかったともいえます。
ちなみに、筆者がWHILLの前に所属していた大手メーカーで掲げられていたスローガンは「作らずに創る」でした。“議論やシミュレーションなどを重ねた上で、精密な試作を作り、ムダな試作を減らす”という意図が込められたこのスローガンは、デザイン思考が掲げる“早く作って早く失敗する”とは全く反対の思想でした。
これは「どちらが良いか?」という話ではなく、開発する対象や開発フェーズ、事業フェーズなどによってうまく使い分けることが必要です。
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