製品開発に従事する設計者を対象に、インダストリアルデザインの活用メリットと実践的な活用方法を学ぶ連載。今回から“デザイン思考は製造業を変えたのか?”をテーマに取り上げる。[後編]では昨今のデザイン思考に対する批判の論点やデザイン思考の功績について解説する。
本稿は“デザイン思考(デザインシンキング)”に関する解説の[後編]となります。
[前編]では、デザイン思考の概要、普及背景、筆者の実務経験などを解説しました。[後編]では昨今のデザイン思考に対する批判の論点やデザイン思考の功績について取り上げます。
また、[後編]ではデザイン思考に対する批判的な内容も多く含みますが、[前編]の冒頭でお伝えした通り、筆者はフレームワークや思想、哲学としてのデザイン思考を肯定的しています。だからこそ、デザイン思考の批判されるべき点を明確にし、それによって正しい理解と活用につながることを望んでいます。
将来、事業の場にデザイン思考を取り入れてみたいと考えている方にとって、ここで紹介する内容や筆者の経験が少しでも参考になれば幸いです。
「罪」という表現は少し大げさかもしれません。しかし、過去10年ほどのデザイン思考に関する取り組みとその実績を振り返ると、少なくともデザイン思考は当初うたわれていた“複雑な問題を解決できる魔法”ではありませんでした。
現に、筆者が調査、経験した範囲では、デザイン思考の功績によって生み出されたことを表明するイノベーション(イノベーションの定義はさまざまですが、本稿では特に言及いたしません)はおろか、デザイン思考ワークショップで創出されたアイデアを事業化した企業を見つけることさえも困難です。
つまり、デザイン思考ワークショップで行われる異分野間でのブレストセッションは大いに盛り上がり、膨大な「付箋」を生み出しましたが、そこから何らかの製品や解決策が生まれることはほとんどなかったのです。
ただし、雑貨などにみられるアイデア商品の中にはデザイン思考を活用して商品化されたものがあるかもしれません。しかし、デザイン思考に期待されたのは、もっと複雑で難解な問題の解決だったはずです。
そして、デザイン思考が普及し始めてから数十年たった今、デザイン思考は一部の人々から批判を受けています。「デザイン思考で問題解決はできない」「デザイン思考のアイデアは虚構である」などの批判が見聞きされますが、その論点は具体的には何なのでしょうか。
いくつかの批判文献を参照し、デザイン思考に対する代表的な批判を以下にまとめます。
批判その1:
デザイン思考は「非現実的な検討である」
・使用する根拠がデータよりも逸話に過度に依存している
・専門性よりも共感が重視され、個人的な経験や嗜好性で優先順位付けされる
・実現性に欠ける新規アイデアが過度に評価され、最終実装が考慮されていない
批判その2:
デザイン思考は「長期的観点が不足している」
・長期的な実施観点が軽視され、短期的な解決策、検証が優先される
・デザイン思考コンサルティング企業は、実施前の「推奨事項」の提供にとどまり、実施における役割を果たしていない
批判その3:
デザイン思考は「既存コミュニティーや権力構造を考慮していない」
・劇場型のイノベーション推進が善とされ、コミュニティー理解が欠如している
・中心となるデザイナーに権限が集中し、既存の権力構造が無視される
批判その4:
デザイン思考は「誇大広告である」
・古いメソッドに新しい名前を付けただけ
・「デザイン思考は誰でもできる」とPRされるが、実際は訓練が必要
・「専門性が少ない方がむしろよい」とPRされるが、精度の高いアウトプットを出すには業界や技術に関する知識、関係性が必須
ここで挙げた批判の数々は、デザイン思考を実務で活用してきた筆者自身も、的を射たものであると考えます。元来のデザイン思考がそうであったかは定かではありませんが、今日理解、発信されているデザイン思考の批判としては、否定することさえ難しく感じます。
つまり、「デザイン思考は難しい問題を解決しているのではなく、難しい問題の難しい制約を無視しているだけにすぎない」のであり、課題の解決策としてはあまりに不完全なのです。しかし、実際に創出されたアイデアを事業として推進しようとすれば、制約と向き合わなければならない日はいつか来ます。ただし、その制約を解消するのはおおよそデザイン思考ではありません。
もし、世間の理解が「デザイン思考さえあれば、新規事業、そしてイノベーションの創出ができる」というものだったのであれば、それは大げさだったといえます。
また近年、一部のコンサルタントは、デザイン思考の提供価値を事業的成果ではなく、組織文化の醸成など無形物へシフトしているように思います。筆者はこれにも懐疑的です。コンサルタントが数カ月間組織に介入し、当該組織のパーパス(存在意義)やミッション、ビジョン、バリュー(MVV)を立てることで、創造性ある組織文化を構築できるとは甚だ思えません。
組織に関する長期的な運用やメンテナンスの実施が伴わなければ、パーパスやMVVは単なる“絵に描いた餅”です。その結果は、新規事業創出においてデザイン思考がうまくいかなかったのと同じ末路になると推察します。
そもそも、創造性ある組織文化の醸成に必要なのは、デザイン思考という偏った思考法ではなく、もっと古典的な組織経済学です。
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