“町の工務店”成長の秘訣は新卒採用の継続にありイノベーションで戦う中小製造業の舞台裏(8)(2/5 ページ)

» 2016年07月28日 11時00分 公開
[松永弥生MONOist]

どん底の家業を事業承継

 吉武工務店のオフィスの内装は、檜や杉の無垢材が使われている。打ち合わせスペースの傍らには本物の暖炉があり、冬場は、仕事で出た廃材が燃料となってパチパチと燃える。

 2階には、組み合わせ自在なテーブルと椅子が置かれたカフェスペース。ここはワークショップや交流会に利用される。もちろん、新入社員の入社式もこのスペースで行われた。

 休憩時間に横になってくつろげるようにと畳敷きの和室もある。木の香りがすがすがしいトイレは、とりわけ女子社員から好評だ。

 このオシャレなカフェのような事務所は、吉武工務店の看板商品「創造する空間〜クリエイティブワークスペース」のモデルルームを兼ねている。

職場は、人生の3分の1を過ごす空間 職場は、人生の3分の1を過ごす空間。吉武工務店は、玄関を開けると天然木の香りもすがすがしい
女性の力を活用したい製造業に「女子力活用トイレ」の提案 女性の力を活用したい製造業に「女子力活用トイレ」の提案 出典:吉武工務店

 吉武工務店を創立したのは、先代社長の吉田武夫氏だ。1965年に創業し、高度成長期の波にのって仕事をしてきた。2代目となる丈彦氏は、すぐに家業を継いだわけではない。大学卒業後は大手ゼネコンに入社して6年間ほど勤めた後、仕事を覚えてから独立した。家業を継ぐのではなく、吉武工務店の片隅に自分の机を置き、看板を出したのだ。

 「父が経営する吉武工務店とは全く違う立ち位置で仕事をしていました」(丈彦氏)という。

 自分で営業も経理もこなし、仕事は外部に発注していた。最初の数年は売り上げが立たず苦労もしたが、徐々に軌道にのった。

 その一方で、吉武工務店は丈彦氏が自分の会社を立ち上げたころから、厳しい状況が続いていた。さまざまな要因があるが、会社を支えてきた、武夫氏の夫人(丈彦氏の母)が亡くなり、武夫氏が気落ちしてしまったことが大きい。武夫氏は仕事のやる気をなくしてしまったのだ。

 従業員の生活に責任を持たなければならないのに、過去の実績を食いつぶすようにズルズルと日が過ぎていく。このままでは、赤字で廃業しなければならないのは目に見えていた。

 武夫氏が自暴自棄になり「もう会社はいらない。どうでもいい」といった時、丈彦氏はその言葉を受け入れ難かった。

 会社を畳むというのは、丈彦氏にとって生まれ育った土地を手放すということだ。自分の会社もここにある。6年続けてきて、ようやく業績が上がってきたというのに、事務所を移転しなければならなくなる。

 顧客から信頼を得るためには時間が必要だ。これまで吉武工務店の看板が培ってきた信頼をゼロに戻すのは、お金を失う以上の損失だ。

 さまざまな選択肢がある中で、丈彦氏は吉武工務店を継ぐ決意をした。

 いざ事業を継承すると、それまでの実績と信頼関係で、仕事は次々にはいってきた。武夫氏が数年間放置していた顧客にも丁寧に接すると、仕事を得ることができたそうだ。

 しかし、どんな業種であってもビジネスには波がある。

 工務店の仕事は、1件当たりの受注額が大きい。そのため、ふとした弾みで見込み案件の受注がとれないと、売り上げがガクッと下がってしまう。不思議なことに、1件受注し損ねたと思うと、3〜4件パタパタと続いてしまいにっちもさっちもいかなくなった。

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