「デカ目」「美肌」なぜ生まれた? フリュー社長が語るプリ機30年の技術変革イノベーションのレシピ(1/3 ページ)

誕生から30年を迎えたプリントシール機。「デカ目」や「美肌」に代表される技術は、いかにして生まれたのか。業界トップシェアを誇るフリュー 代表取締役社長の榎本雅仁氏に、ハードとソフト両面の技術変革の軌跡から、「推し活」需要を見据えた今後のグローバル戦略までを聞いた。

» 2026年04月06日 06時00分 公開
[安藤照乃MONOist]

 「盛る」「デカ目」「美肌」――プリントシール機は、若者の写真文化が激変する中、約30年にわたりカルチャーの最前線を走り続けてきた。

 現在、プリントシール機業界のトップシェアを握るのがフリューだ。「ただ撮るだけ」の機械から「盛る」文化を生み出し、SNS投稿前提のエンタメ端末への進化をけん引してきた。2026年3月20日〜4月5日には、プリ誕生30周年を記念して「ウチらのプリ展 〜Dear令和 By平成〜」を開催した。

 なぜフリューは的確にトレンドを捉え、ヒット機を生み出し続けられるのか。本稿では、開発初期から携わるフリュー 代表取締役社長の榎本雅仁氏のインタビューを基に、プリントシール機にまつわる技術変革の軌跡と、グローバル展開を見据えた次なる生存戦略に迫る。

キャプション フリュー 代表取締役社長の榎本雅仁氏。横は最新機種。

※「プリクラ」「プリント倶楽部」は、セガが保有する登録商標。本稿ではプリ/プリントシール機で統一する。

シンプルな機能で若者を熱狂させた「初代プリ」の誕生

 プリントシール機の歴史は、約30年前の1995年にさかのぼる。アトラスとセガ・エンタープライゼス(現・セガ フェイブ)が共同開発した「プリント倶楽部」の発売がその始まりである。

キャプション 1995年に開発された「プリント倶楽部」の実機。「ウチらのプリ展 〜Dear令和 By平成〜」にて特別に展示された[クリックで拡大]
(左)シンプルなボタン操作。(右)フレームを選ぶのみだった[クリックで拡大]

 当時のプリントシール機の技術は、ビデオカメラで撮影した映像を写真として切り取り、感熱式プリンタでシールに印刷するという非常にシンプルなものだ。現在のように顔の補正機能やラクガクの文化はなく、できることはフレームを選択することくらいであった。しかし、まだ携帯電話が普及しておらず、写真といえば使い捨てカメラが当たり前だった時代において、その場で自分の顔がシールになるという体験は革新的であり、若者たちの間で爆発的なブームを起こした。

「楽しさ」より「盛れる」技術を、画像処理技術向上への転換

 フリューの母体であるオムロンは、1997年にエンターテインメント分野の新規事業としてプリントシール機市場に参入した。第1号機として、顔認識ソフトウェアを利用してユーザーの似顔絵を作成する「似テランジェロ」を開発するも、当時はヒットには結び付かなかった。

 榎本氏は1999年にオムロンに新卒で入社した。当初は券売機などのソフトウェア開発を担当していたが、「面白そうだから」という思いで社内公募制度を利用し、エンターテインメント事業へ異動。1年のアシスタント業務を経て、2004年に設立直後のオムロン エンタテインメント(現 フリュー)に参画した。

 榎本氏が異動するころのプリントシール機の開発方針は、純粋に「楽しさ」を追求するものだった。例えば、天井にカメラを設置して俯瞰で撮影できるようにしたり、カメラ自体を動かして撮影ポーズにバリエーションを持たせたりと、アトラクション的な面白さに注力していた。画像はビデオカメラに映った映像をほぼそのまま出力しているような状態だった。

 しかし榎本氏は、「ユーザーが真に求めているのは、かわいく写ること、つまり『盛れる』ことではないか」と分析。「これを追求しなければ、会社として生き残れない」という危機感から、写りを向上させるための技術改修へと踏み出していく。

キャプション 30周年を記念して作られた特別年表。(1995〜2001年代)[クリックで拡大] 出所:フリュー
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