AI時代の研究開発におけるノウハウの価値とインフォマティクスの役割マテリアルズインフォマティクスの基礎知識(2)(2/2 ページ)

» 2025年10月30日 06時00分 公開
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AIと理論の関係を表現

 AIと理論のこうした関係を比喩的に表現することで、直感的な説明を試みます。

 もし開発者を自動車のドライバーに例えるなら、理論や経験則は走行可能な道筋を定める地形に当たります。通行できないエリアを規定するのが理論の役割であり、そこには自然法則や装置上の制約といった、動かしにくい構造が刻まれています。経験則は、その地形に手書きで注釈を加えるような存在です。理論では描ききれない局所的条件、例えば路面の滑りやすさや風向きの偏りを補足するようなイメージでしょうか。

 ナビゲーションや自動運転制御に相当するのがAIです。AIは、主に観測データを基にマップ全体の等高線を推定します。それを用いて、理論やドメイン知識によって制約された地形の中で未知の峠を探索し、そこに至るための最適な行動計画を立てます。観測データは、地形の上に刻まれた走行ログとして蓄積され、その後の探索に再利用されていきます。

 こうして理論が地形を与え、経験則がその質感を補い、AIがその中で探索をします(図2)。理論、ドメイン知識、データ、AIが相互に作用しながら、現実に即した探索が進み、再利用可能な知識が増えていきます。

図2:理論、ドメイン知識、データを駆動するAIによる開発ナビゲーション 図2:理論、ドメイン知識、データを駆動するAIによる開発ナビゲーション[クリックで拡大]

個を高めるAIと組織をつなげるインフォマティクス

 先ほどのメタファーを続けましょう。ここで描かれる探索は、あくまで1台のクルマであり、開発テーマの一端における個人の試行錯誤プロセスを表しています。実際の開発はこれほど単純ではなく、異なる目的、スケール、タイムラインを持つ数多くの探索が、つながり合うマップの中で同時並行あるいは逐次的に進行しています。材料設計、プロセス開発、評価、スケールアップなどの各フェーズで、異なるクルマがそれぞれのルートを走り、走行ログ(データ)を残していきます。

 開発プロセスは組織的な営みであり、複数の探索が相互に影響し合うものです。あるルートで得られた知見が別の探索の初期条件を変え、他のドライバーの判断やルート選択に影響を与えます。場合によっては、複数のルートが交差し、情報が合流することで、新しい道筋が開かれることもあります。

 AIが進化しているとはいえ、全てのルートを自動で走れる万能車は存在しません。高速道路に適したもの(例:短時間での材料スクリーニング)もあれば、悪路に強いもの(例:広い適用範囲での条件探索)もあります。ドライバーによる判断や操作とAIナビゲーションを組み合わせながら、環境に応じた最適な走行を行う必要があります。AIはその1台1台のクルマの走行を加速する知的な「エンジン」とも言えますが、それらを束ね、全体としての流れを作る仕組みがなければ、渋滞や衝突が生じ、成立しません。

 この点は、実際の自動運転技術にも言えます。自律走行そのものの技術は既に確立しつつあるようですが、現実社会で自動運転が普及していないのは、クルマの知能だけでは交通が成立しないからでしょう。信号、標識、通信インフラ、道路管理、人の行動様式といった要素が連携して初めて、安全かつ持続的なシステムが機能します。AIを搭載した1台のクルマは強力ですが、それが社会システムや交通システムと整合して動けないと、局所的なインパクトにとどまってしまうというわけです。

 マテリアルズインフォマティクスにおいても、近しい感覚を持っています。どれほど高性能なAIが個々の探索を支援できても、それが研究組織全体として連携し、成果を共有/再利用できる形で運用されなければ、継続的なインパクトにはつながりません。多様なプロセスにおける探索や発見をつなぎ、全体の知の流れを指揮するシステムや仕組み、文化が必要です。

図3:エンジンとしてのAIとR&Dインフラとしてのインフォマティクス 図3:エンジンとしてのAIとR&Dインフラとしてのインフォマティクス[クリックで拡大]


ドメイン知識を駆動するAI時代の探索

 本記事の前半では、AIをどう使うかという観点から、理論とAI活用の関係や、ドメイン知識の重要性を見てきました。AIが知能面で万能になればなるほど、境界条件の設定、すなわちAIが探索する「地形」の定義できる人間の価値は、ますます高まっていくでしょう。おそらく、確立された理論は、今後AIの方がうまく扱っていけるようになるとみています。しかしながら、研究開発という動的な環境の中で得られる生きた理論や経験則(ドメイン知識)は、人間だからこそ捉えられる側面が残り続けるはずです。

 ドメイン知識とは、理論よりも局所的で現場に根差しており、経験的ではあるものの再利用可能なパターンを持ち、アルゴリズムに依存せずどのAIにも流用できます。これはAIを動かす環境設計のための知識ともいえましょう。その設計の質が、AI活用による成果を大きく左右します。

 記事の後半では、個々のAIによる探索をどのように組織的な持続的活用へとつなげるかを考えました。

 AIは技術的イノベーションを駆動する「エンジン」であり、インフォマティクスはマネジメント/イノベーションを支える「インフラ」です。前者が個人の探索を拡張し、後者が組織全体の知を流通させます。この2つが結び付くことで、研究開発の持続的な成果創出基盤を築くことが可能になります。前回と通底するメッセージで今回の記事も締めたいと思います。

 さて、こうして定義された「知」や「ノウハウ」は、どのように蓄積され、次の発見へとつながっていくのでしょうか。AIがエンジンとなり、インフォマティクスがインフラとなる時代において、研究開発組織はどんな仕組みやマインドセットが求められるのでしょうか。この問いを、次回以降さらに深掘りしていきたいと思います。

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筆者紹介

MI-6 取締役 Co-founder / miLab 編集長 入江満(いりえみつる)

東京工業大学・大学院(現:Science Tokyo)においてバイオインフォマティクスを専攻。総合シンクタンク、ITベンチャーを経て、当社共同創業。"MI"を基軸にした解析サービスおよびプロダクトの開発をけん引。現在は事業・プロダクト・R&Dの責任者として執行全般を統括。


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