「バッテリーだけ、あなたの名義ではありません」と言われたときにどう感じるでしょうか。
「○○は義務教育で教えるべき」というインターネットスラングのような意見があります。○○には確定申告などの手続き、金融や行政に関する知識、日常生活で割と重要なノウハウなどいろいろなものが当てはめられ、「大人になる前にもっとちゃんと知っておきたかった(知っていた方がいい)」という文脈で語られます。
いい歳してスムーズにできなくて、もっと前にちゃんと理解する機会はなかったのか!? と自分に対して思うことはたまにありますが、「それは誰かに教えてもらっていないからできないのだ」という言い訳かもしれません。効率的ではありませんが、下調べの段階を抜けて実際に自分の手を動かすとき、その結果失敗したときにこそ身にしみて学ぶので、義務教育で事前に誰かが教えたところであんまり意味はない気もします。
自家用車の名義変更がその個人的な好例でした。車検証には、そのクルマの使用者と所有者が明記されていますね。使用者はただ使っている人であって、動産としての所有者が所有権を持っています。法律的な立場や権利は重要です。いくら私が毎日運転していても月極駐車場にお金を払っていても、所有権がなければそのクルマは法的には私のものではないのです。そのことは教科書的には知っていたつもりでしたが、実際に名義変更の手続きを自分でやってようやく実感しました。
使用者でいられればそれでいいという考え方もあるし、所有権もほしいと思う人もいます。名義変更の手続きをしてみて、クルマに関しては所有者でもありたいと思いました。住居に関しては、私が今住んでいるのは賃貸なのでただの使用者です。所有権のために背負う価格やローンの重さを考えると、賃貸は身軽です。でも、自分のものではない住居に家賃を払い続け、いつか引っ越すときにはきれいな状態で返却しなければならないのは窮屈とも感じられます。今住んでいるエリアを気に入っているので家を買うことも悪くないのかもしれないと思う一方で、ハザードマップを見ると腰が引けます。
所有者と使用者の違いは一般常識として理解していましたが、いい歳してようやく実感が伴ってきました。そこで思うのが、最近よく聞く「車電分離」のことです。車両と電池の所有を分けることで、自動車メーカーはバッテリーのリユースやリサイクルがやりやすくなり、ユーザーはバッテリーの部品コストを抜いた価格でクルマを入手できる、というコンセプトです。
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