「組織の変容」という言葉で思い出すのが、トヨタ自動車の試作部のエピソードだ。試作部といえば、1枚の鉄板をも野球のグローブに作り替えてしまうといわれるほどの匠の技能を有する強者の集団である。その試作部を、「インパクトレンチからマウスに持ち替えてモノづくりをする」というコンセプトでデジタル対応した組織に変えていったという。
今では、試作開始の1カ月前から、組み付け作業性や治具の汎用(はんよう)性を3Dデジタルツインで検証している。また、メンテナンス性の観点から部品の着脱の簡便さ、水漏れ対策などを、モノづくりに精通した視点でデジタル検証しているという。まさにデジタル擦り合わせである。もちろん、組み付いた状態でしか検証できないこともあるので、試作車による検証を行うことで、さらに品質に磨きをかける。トヨタ自動車は、現地現物を対象としていた試作部という組織、その匠の技能をデジタル武装することで変容させることに成功しているのだ(参考リンク)。
こういった組織の変容を促すためのソフトウェアも進化している。デジタル擦り合わせでは、生産技術や試作の観点からのVR(仮想現実)検証が重要である。特に、熟練エンジニアの知見を引き出すには、バーチャル空間の中で実物と同じように、自分の手や工具で簡単に操れることが必須だ。また、コロナ禍の環境においては、遠隔地にいる者同士が、VRでコラボレーションすることもあるだろう。例えば、若手の指示している箇所を、別の場所にいる熟練者エンジニアが確認するといった機能があれば人材育成にも便利だ。このような形で、設計と生産技術、あるいは試作のコラボレーションを3Dデジタルツインで支援することが技術的には可能になっている(動画1)。
別のメーカーでは、こんな課題にも遭遇した。試作時における量産時の課題検討を実機を待って行っていたが、量産手順書の作成も実機を見て作成していたため、早い段階から手順書に沿った量産検討ができなかった。当然、量産時には想定外の課題が出て、手戻りが起こる。このような課題を感知し、これを機会と捉え、変容していく必要があるだろう。
例えば、3Dデジタルツインを整備し、量産時のシミュレーションを行い、そこで組み立て手順も定義してしまえば、品質の高い試作機を製作することが可能になり、しかも、作業手順書の自動生成が可能になる。それに従って、量産時の課題を実機で最終検証すれば、デジタル擦り合わせによるリードタイム短縮と実機によるさらなる品質の作り込みを同時に実現できる。
紙図面をなくしていくということは、DXに向けては“一丁目一番地”だろう。せっかく3D設計したにもかかわらず、これまでの慣習に従い現場へ図面で情報を流すために、2D CADで図面を作成する設計部門も多い。これでは設計が二度手間になるし、後工程は設計が図面を描いている間は作業に着手できない。特にバリエーションの多い製品では、このようなプロセスは改革すべきポイントの宝庫となる。全ての図面を一気になくすのは難しいかもしれないが、図3に示すような3D組立図あたりから始めるのは比較的ハードルが低い。実際、設計の作成した3Dデジタルツインに管理情報を付加し、組立図を自動生成するという運用を実現している企業として、日野自動車などがある。コロナ禍を奇貨として、ペーパーレス化に挑むのも「変容」の一つになる。
冒頭に挙げた“世界の覇者”の小話は、「これらは全て天の意思である」と続く。中国、韓国、日本は新型コロナへの感染で重症化する人が比較的少ない。それは、既にアジアの大多数が風邪の原因である既知のコロナウイルスに感染しており、それが新型コロナへの免疫力を高めているからだとする説がある。だとすれば、新型コロナのまん延は中国経済にとっては有利である。新たな覇者の誕生は、ますます加速するかもしれない。一方、米国バイデン新大統領の国際協調路線で、さらには、有効な新型コロナワクチンの普及で、“天の意思”も変わるかもしれない。いずれにしても、人類全体が幸福に向かう道を模索したいものである。それぞれが危機を感知し、捕捉して、変容することで、新たなイノベーションの創出に貢献し、2021年が少しでも良い方向に向かうことを祈るばかりである。 (次回へ続く)
鳥谷 浩志(とりや ひろし)
ラティス・テクノロジー株式会社 代表取締役社長/理学博士。株式会社リコーで3Dの研究、事業化に携わった後、1998年にラティス・テクノロジーの代表取締役に就任。超軽量3D技術の「XVL」の開発指揮後、製造業のデジタルトランスフォーメーション(DX)を3Dで実現することに奔走する。XVLは東京都ベンチャー大賞優秀賞、日経優秀製品サービス賞など、受賞多数。内閣府研究開発型ベンチャープロジェクトチーム委員、経済産業省産業構造審議会新成長政策部会、東京都中小企業振興対策審議会委員などを歴任。著書に「製造業の3Dテクノロジー活用戦略」「3次元ものづくり革新」「3Dデジタル現場力」「3Dデジタルドキュメント革新」などがある。
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