トップダウンで進めようとするのであればなおのこと、先に述べたプラスの側面だけで議論を先に進めるべきではありません。当然のことですが、「期待できること」の背後にある性質を見極めないと、「期待できることに伴う犠牲/マイナスの側面」も合わせての正しく評価ができないからです。
例えば、汎用品や標準規格の利用に伴う手段の面での制約は、払うべき犠牲として代表的なものの1つでしょう。あるモジュールに対する機能追加や拡張が、汎用品であるがため/標準規格の制約により自由に行えないことは、その典型例になるでしょう。しかし、機能要求を提示する側に対して「それはAUTOSARでは対応していないので、同じ目的が達成できる他の方法を考えよう」と主張することは、決して悪いことではありません。むしろ必要なことです。AUTOSARは、たとえそれを使っている意識がなくとも、いつのまにか使っている、あるいは使わないことで隠れた不利益を既に被っている、既にそんな存在になっている、と考えるべきでしょう。もはや、無視できる存在では決してありません。ですから、ご自身の立場で必要となる内容(最低でも、後に述べる背後にある性質など)を理解し、標準の内容に支障があるならそれを変える努力をする(ただし、標準化に参加しないなら、従う他ありません)、変更提案が認められなければ諦めて従う。こうやって付き合っていくしかないのです。
以下に、背後にある性質をご紹介します。まだ他にもあるでしょう。また、それぞれが完全に独立しているわけではありません。
※2)これらの性質に該当することが、これまで全く行われてこなかったということでは決してありません。何らかの形で、多かれ少なかれ行われていたことと思います。ただ、AUTOSAR導入によって、さらに広く行われるようになることは間違いないでしょう。
そして、これらの性質がもたらすものには、うれしいこともあれば、うれしくないこともあります。そして、ある立場ではうれしいことも、別の立場ではうれしくない、ということも起こるでしょう。各種制約や価値観(常識を含む)に左右されます。
ですから、「AUTOSAR導入によるうれしさ」を、誰にでも分かりやすく、実感の持てる形で一般論としてまとめようとしたとき、誰もが苦労するのです 。
そんなものはまとまるはずがありません。理解してもらいたい相手に合わせてカスタマイズして用意するしかないのです。個別に議論して見いだしていくしかないのです。理解してもらいたい相手を巻き込んだ、形だけではない本気の議論こそが重要な理由は、ここにあります。
次回は、「期待」のイメージがそれなりにつかめてきている、という前提で、これまでの運用から得られた教訓を述べていきたいと思います。
ですから、どうか、先を読み急がないでいただければと思います。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.