その中から渡辺氏が就職先に選んだのはNEC。大型コンピュータを開発しようとコンピュータ開発本部という部署が設けられたばかりだったが、渡辺氏は逆にそれが良いと感じていた。
「既存の組織に入っていくのなら『自分でも大丈夫かな』と不安になったでしょう。でも、新しい組織ならみんなゼロからのスタート。『新しい部署で新しいものを始められるな』と思いました」
工場実習などの新人研修を経て、入社して半年後にはコンピュータ開発本部へ配属に。50人ほどの部署だったが、新入社員が10〜20人。それ以外の社員も2〜3年目の若手や研究所から来た中堅ばかり。平均年齢30歳以下の職場で、いきなりコンピュータを開発する仕事を任されることになった。
「徹夜に休日出勤は当たり前だった」と渡辺氏。激務ではあったが、新しい技術が続々と登場し、いろんな形の新しいコンピュータが現れる状況に胸躍らせた。「もっとコンピュータのことを学びたい」という知識欲も刺激され、自主的に休日出勤してまで貪欲に学習する日々を送っていたという。
NECでの勤務開始から「京」のプロジェクトリーダーを務めるまで、コンピュータ開発のキャリアをずっと歩み続けてきた。
渡辺氏はNECでスパコンの、「SXシリーズ」や2002年から2年半にわたって世界最速の座を守っていた「地球シミュレータ」の開発でも重要な役割を果たしている。常に日本のスパコン開発をリードしてきたのだ。
その実績が認められ、2006年には高性能計算分野で重要かつ革新的な貢献をした証である「シーモア・クレイ賞」を米国電気電子学会(IEEE)から授与されている。日本人では初めての快挙だった。
その一方で、ちょっと変わったコンピュータの開発も手掛けたことがあるのだとか。例えば、人工知能(AI)を生み出すことを目的に始められた第5世代コンピュータ開発のプロジェクトでは、研究所から生まれた最先端の研究成果を基に製品として使えるシステムを開発。JAL乗務員の勤務シフトを組む際に使われる管理システムなどに利用された。
ほかにも、NECがリードしてきた指紋照合の技術を生かしたシステムも開発してきている。こちらも研究所で育まれた技術を製品化。この指紋照合システムは日本の警察庁で指紋調査に使われるようになったほか、サンフランシスコ市警、シカゴ市警など、世界各地でも採用されるシステムとなった。
「指紋照合のシステムで思い出すのは、パトリシア・コーンウェルという推理小説家が書いた『検屍官』シリーズですね。主人公がリッチモンド警察の検屍官で、指紋照合装置を使って犯人を突き止める話が出てくるんです。その装置がまさにリッチモンド市にNECが販売したもの。小説の中で登場したときには『これだ!』と思いました(笑)。技術者冥利に尽きますよね。こういう風に役立っているんだと」
研究所発の技術を、製品化して世の中に送り出すことで、直接的に成果を確認できる。そこに技術者として大きなやりがいを感じ、ずっとやってきたのだと渡辺氏は話している。
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