2011年6月、明るいニュースが飛び込んできた。理化学研究所などが開発してきたスーパーコンピュータ「京」が、LINPACKベンチマークで8.162ペタフロップスを記録。当時、世界最速のスパコンとして認められたのだ。「世界最速」の称号を日本のスパコンが得たのは、地球シミュレータ以来のこと。その後、2011年11月には10.51ペタフロップスを達成。2期連続で世界最速のスパコンとなった。実は「京」の開発プロジェクトをリードした渡辺貞氏は、地球シミュレータにも携わっていた人物。日本のスパコン開発を牽引してきた第一人者が若者に向けて送るメッセージとは――。
本記事は理系学生向けの就職情報誌「理系ナビ」2011年冬号の記事に加筆・修正して転載しています。
10ペタフロップス(演算速度1京回/秒)の性能を持つスーパーコンピュータをつくろう――。そんな目標を掲げたスパコン「京」の開発で、プロジェクトリーダーを任されたのは渡辺貞氏。「国の研究開発基盤とする」という「京」の用途を考え、10ペタ達成に加えて、さまざまな分野の研究者が汎用的に使えるシステムにしようと考えた。しかし、記録と汎用性の両立は苦難の道。10ペタという記録を出すだけであれば、もっと簡単に達成できただろうと振り返る。
「10ペタのシステムをつくろうと思ったときに、やり方はいろいろあります。例えば最近では、グラフィックス用のプロセッサ(GPU)を使うやり方もありますし、GRAPEという天文関連の研究に使われている専用のチップを使うというやり方もあります。
確かに、GPUやGRAPEを使えば演算機能だけはたくさん増やせます。単に10ペタのシステムをつくろうと思ったら、そちらの方が簡単です。ですが、完成したシステムの用途が天文などの研究分野に限定されてしまうのです。
でも『京』はもともと、国の研究開発基盤として、さまざまな用途で多くの研究者に広く使ってもらうという目的がありました。ですから、特殊なチップを使わないで、汎用的に使えるチップで10ペタの性能を出そう。かつ、消費電力も減らそう。そんな制約条件を設けた上で開発することに決めていましたから。
ですから一番難しかったのは、そうした制約条件を守りながら、10ペタの性能を出すことだったのです」
計算速度世界ランキングで1位になったこともうれしかったが、ただ1位を取った以上の価値があったことも誇らしかった。というのも、「京」の実行効率(システムの理論性能に対する実行性能の比)は93%と極めて高い水準。当時2位だった中国製スパコン「天河1号A」はGPUを使い、実行効率は50%台となっていた。結果、天河1号Aと比べて3倍以上の性能差を見せつけ、「汎用システムとして断然トップ」(渡辺氏)になった。この事実は、世界各国で驚きをもって迎えられたようだ。
そんな「京」の開発思想には、渡辺氏が社会人になったときから持っている仕事観と通じるところがある。
「単なる研究のため、自分の好奇心を満たすために特別なものをつくって『はい、できました』ではダメ。『使ってもらって初めて意味がある』と会社に入ったころから思っていました」
そのような考えを持つようになった発端は、小学校のころにまでさかのぼる。担任の先生がことあるごとに力説したのは「これから戦後の日本が復興して生き残る道は、“頭”しかない。技術しかない」ということ。まだ小学生だった渡辺氏に向けて、ことあるごとにそう語り掛けたそうだ。
「技術しかない」という先生からの薫陶を受けた渡辺氏は、東京大学工学部に入学。日本のエレクトロニクス産業が急成長を遂げる様を見て、当時の一番人気だった電気・電子系の専門課程に進もうと勉学に勤しんだ。
大学院に進学する学生が今とは逆に2割程度しかいなかった時代。「まだまだ勉強が不十分」と思っていた渡辺氏は、大学院進学を決意。東京大学大学院工学系研究科の修士課程に進み、東京大学の中でもまだ何台もなかったコンピュータを使って、コンピュータの設計をする研究に取り組んだ。
博士課程に進むことも考えたが、企業で働くには修士が限界。博士にまで進んでしまうと、現在以上に就職活動で苦労することは間違いなかった。そこで渡辺氏は、修士を区切りに就職を考えた。NECや富士通など、日本にまだ5〜6社程度だったコンピュータを開発しているメーカーの中から、就職先を選ぶことにした。
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