搭乗型巨大ロボット「はじめロボット43号機」が大阪市西淀川の町工場で誕生これが浪速のアナハイム・エレクトロニクスや〜(2/2 ページ)

» 2012年09月04日 09時54分 公開
[三月兎,@IT MONOist]
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乗れるくらい大きくないと意味がない! ガンダムにあこがれて

 このロボットを製作したのは、「はじめ研究所」の坂本元氏と、大阪市西淀川区の町工場集団「西淀川経営改善研究会(NKK)」のメンバーだ。

 坂本氏は、高校時代に見たTVアニメ『機動戦士ガンダム』の影響を受け、「いつか、自分で『ガンダム』のようなロボットを作りたい」と考えていたそうだ。その夢に向け、2002年から二足歩行ロボットの開発を本格的にスタートし、ロボット製作会社「はじめ研究所」を設立。二足歩行ロボット競技会「ROBO-ONE」や「ロボカップ」などで活躍していた。しかし、坂本氏が抱く夢、巨大ロボットを製作するには、設備やスペースの他、費用も掛かる……。そんなこともあり、当時、坂本氏が開発していたのは身長40cm前後の小さなロボットだったという。

 一方、1984年に発足したNKKは、西淀川区内の中小製造業の有志が集まり、互いの技術で常に新しいチャレンジを続けていた。ロボット製作のきっかけとなったのは、それまでのプロジェクトが一段落した際、吉則工業の金増健次氏が発した「次は、巨大ロボットを作りたいな」という一言だったそうだ。

 とはいっても、当時のNKKメンバーにロボットを製作するノウハウはない。そこで、同プロジェクトのまとめ役を務める三木製作所の三木繁親氏が、異業種交流会で知り合った坂本氏にコンタクトをとったのだ。

開発メンバーによるトークショー 開発メンバーによるトークショーの様子。左から三木製作所の三木繁親氏、ニシザキの西崎義継氏、吉則工業の金増健次氏、はじめ研究所の坂本元氏

 その後、坂本氏は三木製作所の3階に研究所を移し、「全ての部品がメイド イン 西淀川」のロボット開発プロジェクトを発足。2005年に「2年ごとにロボットの身長を倍にする」方針で開発をスタートさせた。2007年には身長1mの「はじめロボット25号機」、2009年には2m10cmの「はじめロボット33号機」と順調にロボットを製作していった。

除幕式 西田淳一区長(左)と西淀川経営改善研究会の末廣隆会長(右)による除幕式。左隣にあるのが、元世界最大級の2mロボット「はじめロボット33号機」だ

デモの様子 「はじめロボット43号機」のデモの様子

 坂本氏は、2mロボット(はじめロボット33号機)が完成した時点で、次の4mロボットの構想を考え始めたという。その方針が決定し、実際に4mロボットプロジェクトをスタートさせたのが2010年のこと。

 身長が倍になれば体積は8倍になる。重量に耐えるための強度確保はもちろん、歩行させるための軽量化も必要だ。こうした困難な課題は、「西淀川の人たちと協力してクリアしてきた」(坂本氏)という。モノづくりの好きなプロが集まるだけあって、「こんなものができないか?」と相談すると、「誰それさんが得意だから、何とかなるだろう」と担当がすぐに決まり、必要な部品が出来上がってくるというような感じで製作を進めることができたそうだ。

 西淀川ものづくりまつり2012の会場で、はじめロボット43号機を目にした来場者から「こんなに大きいロボットは必要ないんじゃないの?」というツッコミを受けた坂本氏は、「大きくなくちゃ意味がないですよ。搭乗できるくらいの大きなロボットを作りたいんですから!」と即答。『ガンダム』を作りたいという夢を追いかけてきた坂本氏にとって、このプロジェクトは生きがいそのものなのだ。実際に搭乗できるロボットの実現の喜びからか、歩行デモンストレーションを披露する際、搭乗した坂本氏はこう叫んでいた。

 「はじめ、行きまーす!」

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