技術者が“サラリーマン経営者”を見限るとき――躍進する中国自動車産業界を支える“侍エンジニア”井上久男の「ある視点」(2)(2/2 ページ)

» 2011年05月25日 12時00分 公開
[井上久男,@IT MONOist]
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技術流出を恐れるのは技術進化のための努力が少ない人

 IATの「技術戦略部副総経理」の名刺を持つ山本雄大氏は、三菱自動車を定年退職後、1カ月のうち何日かをIATで働く。三菱自動車時代は乗用車開発部門の要職にあり、「売れる技術」「勝つ技術」とは何かを練る仕事をしていた。技術マネジメントは得意手の1つである。

 山本氏はIATで働く理由についてこう語った。

 「まだ現場で活躍したかったとの思いがあり、不完全燃焼です。日本の方が住みやすい環境にあるのは間違いないですが、ここに来るとエンジニアの本能がよみがえるような感じになり、年齢も40代に戻った感覚です。私は自営の自動車技術コンサルタントです。私の力を評価してくれる幾つかの企業と付き合いますが、IATが高い評価をしてくれ、やりがいのある仕事なので、のめり込んでいます」

 IATが成長する理由についても、山本氏は「宣さんの動きを見ていて日本の経営者と一番違うのは『野望』『野心』があることです。やると決めたらリスクを取って勝つまでやり、自分の夢や目的の実現のために私たちのような外人も使いこなすのです」と話す。山本氏の説明に付け加えるならば、宣氏は、自分の任期の間だけ安泰ならばよいと考えてリスクに挑まないサラリーマン経営者とは違うということだろう。

 さらに山本氏は「コストや技術力だけでなく、世界の自動車メーカーの情報を持っている人材を雇っていることもIATが評価される理由。顧客側は『うちのことを理解してくれている』という安心感があるから」とも語る。

IATスタッフ インタビューに応じてくれた山本雄大氏(右から2人目)とIATの若手社員

 同じく三菱自動車の開発部門でマネジャーを務めていたA氏も定年後、嘱託で会社に残る選択肢もあったが、新しい環境の中で自分の経験を生かしたいと考えてIATに移った。1カ月のうち2週間、北京のホテルに滞在して技術を指導している。

 A氏は「なぜこのような設計にすべきかといった基礎を若手に教えるのが仕事。これまでの私の経験が生かせる魅力的な仕事だと思ってお世話になることを決めた。技術流出を恐れる人は、技術進化のための努力が少ない人ではないか。日本の経営者がリストラを優先的に進め、人材活用の視点が薄れたことも問題」と話す。

 こうしたIATのような企業に対して、日本では「技術流出」だとして一部に反感があることも事実である。しかし、IATに移ったエンジニアの大半は、活躍の「場」が日本では消えたので、海外にその「場」を求めたにすぎない。定年したとはいえ、まだ力のあるエンジニアを日本の経営者や国家が活用し切れていない面は否めない。

 例えば映画のプロデューサーがそうであるように、人・モノ・金を集めて面白い作品を製作しようという意欲が薄れ、ただ身を削ることに一生懸命の日本企業に魅力を感じなくなったとしても当然ではないか。そんな国は発展するはずがない。

サラリーマンエンジニアの増殖が日本ブランドを劣化させる

 日本では雇用の場が減っているのに、「日本の頭脳」を活用するIATに対して日本企業からの仕事が増え始めていること自体、皮肉にも経済のグローバル化を物語っている。ただ、こうした動きは今後も加速するだろう。

 IATだけではない。中国安徽省の奇瑞汽車の工場には「寺田ライン」と呼ばれる生産ラインもある。技術指導している日本人の名を付けたのだ。このほかにも、第一汽車、東風汽車、上海汽車に次いで中国第4のメーカーに成長した国有企業の長安汽車も横浜市に研究所を設立し、日本人エンジニアの採用を強化しており、日産自動車と富士重工業を早期退職したエンジニアが転職したという。定年退職した人材だけではなく、現役も狙われているのだ。やりがいや面白い仕事を求めて人材の移動に国境はなくなりつつある。

 こうして日本のエンジニアが海外から狙われることは、「頭脳流出」との批判がある反面、見方を変えれば、日本人が評価されているということである。これ自体、誇れることだと筆者は思っている。日本社会では政治の劣化に象徴されるように社会を引っ張るリーダーが少なくなっているが、現場を支えてきた優秀なエンジニアは引く手あまたなのである。

 ところが最近になってそれも雲行きが怪しくなった。エンジアの劣化も始まり、「このままでは日本人エンジア不要論が出る」(前出の山本氏)との声も出始めているのだ。山本氏はその理由について、「社会に役立つ技術、収益を出すための技術といったような大きな『絵』を描けるエンジニアが減っているからではないか」と説明する。

 社会の変化と技術を重ね合わせて自ら開発のロードマップを描き、上司に逆らってまでもひそかにそれを追求するようなイメージの「侍エンジニア」が日本企業から消えつつあることも影響している。「侍エンジニア」とは経営感覚を持った技術者のことである。ところが、上司の指示だけをこなしてリスクを取らない「サラリーマンエンジニア」の増殖が「日本人エンジニア」のブランド力を落としているともいえる。

 実際、IATにも「関連企業などのポストが減って定年後の行き先がない」といった理由で求職に来る人材がいるが、こうした人に限って使えないという。中国企業は、自社の問題点を見つけてそれを指導してくれる人材を好むが、「指示待ち族」で来たエンジニアはそれができないからだ。山本氏以外のIATの関係者も「『日本人バリュー』は下がり始めた」と話す。

 さらに大学時代に「就活」ばかりに力を入れている、エンジニアの卵である学生の資質も日本では劣化している。企業に入っても使い物にならない理系の学生が増えたという。そうなると先も暗い。

 経済のグローバル化は加速する。国境を越えて人材は移動し、企業も国籍を問わない人材の登用をより活発化させるだろう。企業の優勝劣敗も瞬時に入れ替わる。こうした時代には、大きな構想に基づく大胆な戦略も重要になってくる。技術と市場を交換していくこともその1つに含まれるのではないか。

 技術を隠しているようでは、その技術は陳腐化してしまう。技術を他国に売ってでも、追い抜かれないように自国はさらに一歩先を目指していくことが真の「技術立国」である。特に日本企業の場合、マザー市場は少子高齢化によって縮小していくことが確実だ。日本の技術と市場を交換して富を得なければ国民は餓死してしまう。

 その富を得る「武器」が技術であり、その源泉はエンジニアの活躍にある。「メイド・イン・ジャパン」は世界一との「誇り」がいつの間にか「驕(おご)り」に変わり果てた結果、油断が生じ、エンジニアの劣化につながっているのではないか。もちろん、経営者の責任は大きいが、日本が再び浮揚するためにも国家を挙げての「エンジニア再生」が必要になっている。


筆者紹介

井上久男(いのうえ ひさお)

Webサイト:http://www.inoue-hisao.net/

フリージャーナリスト。1964年生まれ。九州大卒。元朝日新聞経済部記者。2004年から独立してフリーになり、自動車産業など製造業を中心に取材。最近は農業改革や大学改革などについてもマネジメントの視点で取材している。文藝春秋や東洋経済新報社、講談社などの各種媒体で執筆。著書には『トヨタ愚直なる人づくり』、『トヨタ・ショック』(共編著)、『農協との30年戦争』(編集取材執筆協力)がある。



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