根木氏自身、担当するプロセッサの設計や開発に没頭していたころは、ビジネスの先行きをもっと楽観的に考えていたという。だが、あるとき上司と話をしていて「君の担当しているプロセッサを今後どう売っていくか、一緒に考えよう」といわれて、夢から覚めたような気分になった。『良いものを作れば売れるのではなくて、どう売っていくかを考えることが必要になったのか!』と。
そこで初めて、じっくりと属してきた半導体業界の来し方を振り返り、モノやサービスのライフサイクル、マーケティングというものに思い至り、自分はこの世界にあってこれからどういう役割を果たすべきかを熟考するようになったのだ。
根木氏はそれを冗談半分に「解脱の図」というのだが、図1は、そうした過程で自らの思考を助けるために作った「因数分解図」である。横軸方向に組み込みコンピュータやその構成部品の物理形状、つまり実現単位を、縦軸方向にその機能単位(ファンクション)を取って、それぞれの製品をプロットしていったものだ。
例えば、ワンチップマイコンの形状は単一シリコンではあるが、それ自身コンピュータとしての機能を有している。あるいはコンピュータという機能軸で見れば、ワンチップマイコンもあれば、マザーボードもあれば、それらがケースの中に収まって外からは見えない箱入りのものがある。
この図を描いてみて、根木氏はもつれた麻糸が一気にほどけたような気がしたそうだ。それはなぜか。この図1枚で「半導体メーカーの経営資源がどこに集中していたのか」「それはなぜか」「成長期から成熟期にパラダイムが変化すると何が起こるのか」「ではどうすべきなのか」などが見えたからだ。
これまで(成長期)の顧客は右方向からやって来た。それは自分たちが作るものをどうやって作るのか(How to make)を知っている人々だった。システムを設計し、それに必要な装置を考え、そこにはプロセッサが要る、マイコンが要るということがはっきり見えていた人たちだった。だから半導体メーカーの製品が物理形状軸の「単一シリコン」や「単一PKG」の部分を中心にラインアップされているともいえる。
根木氏はふいに私に質問する。
「薬といってぱっと頭に浮かぶものは何ですか。商品名でいってください」
私はとっさに「タイレノール」と答えた。
「では、タイレノールはどんなときに飲みますか」
「頭が痛いときに飲みます」
「そう、いままでわれわれは“頭が痛いからタイレノールをください”と指名買いができるお客さまを相手にビジネスをしていたんです。いわれたスペックを満たせばよく、そこでのヒーローはタイレノールを開発するエンジニアやそれらを高い品質でかつ低コストで作る工場の工場長でした」
半導体業界でも同じ構図だ。ヒーローは、他社よりも高性能で低価格なLSIを1日でも早く開発できるエンジニアであり、高品質かつ低コストで量産可能な半導体工場で働く人々だった。今後もこの人々やその能力は大切な経営資源だ。しかしそれが「必要かつ十分」だった時代は終わり、「必要だがそれだけでは十分ではない」時代が来たのだ。
一般的にメーカーや業界の製品が成熟してくるとメーカーや業界は、「われわれがご提供するのはソリューションです」というようになる。半導体業界も例外ではなかった。そういうようになると顧客は上方向から来るのだそうだ。彼らは応用分野(What to make)を考えるのが得意である。具体的な実現手段は分からないけれど、「こういうことをしたい!」という意思をしっかり持った人々である。
「では、具合が悪くなったけれども原因が分からない。そういうときはどうしますか」
「病院へ行きます」
「病院は何をしてくれますか」
「レントゲン撮影をしたり、採血をしたりして、具合が悪い原因を調べ、病名を明らかにして、薬を出してくれます」
「それは医療というサービスが提供されたわけですね。その中身をこちらから指名したわけじゃない。求められるものがモノからサービスに変わったんです」
上方向から来る顧客に対して、提供すべきはソリューションである。『お求めになっているものは、これを使ってこうすればできますよ』といったコンサルティングを含めた明確な答えだ。しかし、これまで半導体製造業界は右方向から来る顧客に対応してきた歴史があるため、上方向から来る顧客の求めを十分に受け止め切れないのである。
「われわれメーカーは欲しいものが分かっているお客さまには『何でもできますよ』といえる“何でも屋”でした。実際、何でもできたんです。しかし、いまはただ“何でも屋”というだけでは、何ができるか分からない人には分からないし、通用しない。守備範囲を360度持たなくてもいいから、『何と何ができる』と明言し、そうした分野については応用力を伴った解決策が提示できるプロフェッショナルにならなければいけません。得意でない分野を自前でやる必要はない、パートナーと協業すればいいのです。そうした意味で、モノ作りの意識を抜本的に変革する必要があるのです」
では、具体的にどのようにすればこれまでと違うモノ作りができるのだろうか。安心してほしい、これは単なる提言ではない。根木氏はすでに取り組みを始めている。次回はその実例をいくつか紹介しながら、これから進むべき道を占っていきたいと思う。(次回に続く)
ユビキタスコンピューティングサロン(UCサロン)管理人 |
根木 勝彦(ねき かつひこ) 1960年兵庫県生まれ。小学生のころ、先生に「1日2時間以上テレビを見ている人いますか?」と問われて手を挙げる。ただし、見ていたのはテレビの内部。1982年関西大学 工学部 電子工学科卒業後、日本電気に入社。8bitsCPU(Z80コンパチ品)などの設計・開発に従事。1990年4月よりMIPSアーキテクチャのプロセッサ(VRシリーズ)の開発に従事し、2000年から開発部門を統括。2002年10月よりシステムインテグレーターとして現在に至る。 |
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