「成熟期」を迎え、“何でも屋”ビジネスが通用しなくなった組み込み業界。いまこそ、モノ作りに対する意識を改革しよう!
前回は、組み込み業界の今後を考えるための地ならしとして、モノやサービスの需要と供給のライフサイクルを概観した。
ざっと要約すると、そのモノやサービスの性能や品質が顧客にとって不十分であるときは「技術開発そのものが商品開発」となり、従来より技術的に一段進化したものを提示することさえできれば、売り上げを伸ばし続けることができた。ところが、そのモノやサービスの性能や品質が一般的なビジネスニーズを超えてしまう『成熟期』に入ると、ただ単に技術が進んだだけでは容易に受け入れられなくなる。「技術開発 = 商品開発」ではなくなり、そこには売るための仕掛け、「マーケティング」が必要になってくるという話である。
では、このセオリーを半導体製造業界、組み込み業界に当てはめて振り返ってみよう。そして、「この2つの世界のこれからのありようを考えよう」というのが根木塾の今回のテーマである。
1980‐90年代、日本の半導体製造業界は多忙だった。世界中で企業におけるコンピュータ導入が本格化して市場が拡大するとともに、あらゆる機械製品に半導体が組み込まれるようになったからだ。古くはラジオだった。電卓がそれに続いた。そして、カメラ、プリンタ、通信機器、炊飯器……。ハードウェアに複雑な動きをさせたり、賢く振る舞うように作ろうと思えば、プロセッサやマイコンにその役割を担わせるのが一番だった。
世界に多数の半導体メーカーがある中で、特に日本がもてはやされたのは、「改造」や「改良」が得意で勤勉という日本人特有の国民性が、製品そのものに反映されていたからだ。
まさに根木氏はこの伝説的な成長期のさなかに日本電気(NEC)に入社した。志望して半導体事業部門に配属された後は、プロセッサ設計者として寝食を忘れて開発に没頭する日々が続いたという。家に帰らず会社に泊まり込むことは日常茶飯事だったが、まったく苦痛ではなかったという。自らの手で新しい時代を生み出しているという誇りがそこにあったからだろう。
しかし、どんなに需要が爆発的であっても、いやその需要が爆発的であればあるほどに、そのような熱狂のときは永遠には続かない。「すべての行為は放物線を描く」といったのは写真家の藤原新也氏だが、日本の半導体製造業界の繁栄にも陰りが訪れる。その理由は、日米半導体摩擦により輸出制限が課せられたからだとも、アジアの半導体メーカーの台頭によるものだとも、日本の半導体メーカーがビジネスモデルの変化に対応できなかったからだともいわれる。
「例えばこれはPCで考えてみればよく分かる」と根木氏はいう。
その昔、CPUの性能はPCの優劣を語るうえで大きな差別化要素だった。その性能(特に動作周波数)が高ければ高いほど、OSの動作が迅速で、ワープロや表計算ソフトがサクサクと動くため、人々はできるだけ高速で動作するCPUを搭載したPCにあこがれたものだった。66MHzのペンティアムを200MHzにオーバークロックするような改造がはやったころの話だ。しかし、性能の進化がある程度まで来ると、最新鋭のCPUでなくても日常の利用には不自由しない快適さが得られるようになる。高速なCPUだけがPCを選ぶ基準ではなくなってくるのだ。確かにCPUの性能が上がれば動画のエンコードや編集ソフトがサクサク動くといったような、いままでできなかったことができるようになるといったことはある。しかし、それがPCユーザーの大多数のニーズを満たすものかといえばそうではないかもしれない。それよりもテレビチューナーが付いていたり、軽くて持ち運びが楽だったり、無線LANが付いていたりする方がいまのPCユーザーには魅力的だったりする。
「ですが、一度過去に大きな栄光を経験してしまうと、その幻影からなかなか抜け出せないんですね。技術的に優れたものを作って売れた実績があるのだから、いまも技術的に優れたものさえ作れば売れるに違いない、と考えている人は意外に多いんですよ」と、根木氏は顔を曇らせる。
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