AMDのPLD事業を買収し意気軒高のLattice SemiconductorがFPGA参入で崖っぷちにプログラマブルロジック本紀(10)(2/3 ページ)

» 2026年05月07日 06時00分 公開
[大原雄介MONOist]

Latticeにとって大きな節目となった1999年と2001年

 この後もLatticeはCPLDのラインアップ拡充を図りながら売り上げを伸ばしていく。といっても製品そのものはそれほど増えなかった。1998年のForm 10-Kを確認すると、この時点で追加されている新製品はispGDXというシリーズだが、これはCPLDではなく高速なプログラマブルスイッチである。スイッチングの遅延は5nsと非常に小さく、最大160pinのI/Oをサポートするというもので、通信機器業界に広く利用された。実は1990年代後半に同社の売り上げが急成長した最大の要因が、通信機器業界にうまく喰い込めたことだった。1994〜2001年の決算報告をちょっとまとめてみるとこんな感じである(表1)。

年度 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001
売上高 128,241 144,883 198,167 284,889 245,894 26,9699 567,759 295,326
純利益 22,498 26,966 41,784 45,005 56,567 -46,481 167,887 -109,519
表1 1994〜2001年のLattice Semiconductorの売上高と純利益(単位:1000ドル)

 1999年に何があったのかはこの後説明するとして、これを除くと基本的には2000年まで右肩上がりで売上高、純利益ともに順調に増加しているのが分かる。特に、ドットコムバブルの波に乗れたのがこの好調の最大の要因ということになろう。

 そんな中で大きな節目となったのが1999年と2001年である。まず1999年、同社はAMD子会社のVantisを買収した。買収金額は5億米ドルと報じられている

 実はAMD、1997年に同社のPLD事業を集約してVantisという子会社に移管した。これ、PLDのビジネスだけで見ていると分かりにくいのだが、この時期AMDはIntelとのプロセッサ競争に全力で取り組んでいた時期である。組み込み向けのAm29000をディスコンにして、そのアーキテクチャにx86のデコーダーを無理やり組み込んだAMD K5を1996年に発売するも、爆死。これと並行して、当時独自にx86互換プロセッサを開発していたNexGenを1995年末に買収して、既に発売されていたNx586というコアのソケット形状を変更して1997年にAMD K6を発売。次いで開発中だったNx686というコアをベースにAMD K7を急ピッチで製品化しようとしていた時期に当たる。

 要するに資金はいくらあっても困らないという状況であり、その中でPLDのビジネスはもうかってはいるものの、その金額そのものは小さい(例えば1996年度におけるAMD全体の売上高は19.5億米ドルであり、一方PLD事業部の売上高は約2億米ドルで、Latticeとほとんど変わらなかった)ということもあり、これを分社化したのちにIPO(新規株式公開)なり売却なりを図ることで資金を調達しよう、と考えたようだ。

 PLD事業部からすれば、AMDの中にいると適切な投資が受けられない(AMD全社に占める売り上げの割合が小さいので、投資が後回しにされやすい)という事情もあり、ならばいっそ別会社にしてもらった方が、という思惑もあったのかもしれない。結果、1999年にVantisはLatticeに買収されることになった。1999年に売上高は微増なのに純利益が大きく減少というか赤字になっているのは、このVantisの買収の影響が大きかったと思われる。

 ただし、その翌年である2000年は、今度はLatticeのp/ispシリーズのCPLDとVantis由来のMACHシリーズの両方が計上されることになり、売上高は倍増。利益も極端に増えることになる。ただし、MACHシリーズもやはりCPLDの延長にあるわけで、回路規模はともかくFPGAそのもののビジネスに参入するには至らなかったわけだ。

 この2000年頃になると、もうFPGAが(10年前に比べて)一般的に使われるようになった時期である。Latticeとしても、CPLDの上のマーケットを狙いに行きたいと考えていた。それもあって、2001年にAgere SystemsのFPGA部門の買収を発表する。買収金額は2億5000万米ドルで、Vantisの半額ではあるのだが、これが妥当だったのかどうかはちょっと怪しいところだ。Agere Systemsは通信機器を製造/販売する米Lucentの子会社というか半導体部門だったわけだが、2000年に子会社化され、2002年にスピンオフする。ただし、スピンオフ以前の2001年の段階で同社はまず6000人、次いで追加で950人の人員削減を発表するなどリストラの真っ最中であり、LatticeへのFPGA部門の売却もリストラの一環だったと考えられる。

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