関東大震災を機に自動車に着目した佐吉と喜一郎、力を合わせ自動織機も完成形へトヨタ自動車におけるクルマづくりの変革(11)(4/6 ページ)

» 2026年04月07日 08時00分 公開

6.フォードとGMによる日本市場への進出

 このような状況の中、フォードが横浜、ゼネラルモーターズ(GM)が大阪に進出し、日本国内での組立/販売体制を整えたことが、外国車の流通をさらに促進した。国産車の生産はまだ黎明(れいめい)期にあり、技術力や生産体制の面で外国企業に大きく依存していた。

 以上のように、1923年(大正12年)に発生した関東大震災を契機として自動車需要が高まり、それに応える形で起きた外国車供給の拡大は、日本の自動車産業の発展における重要な転機となった。

 このとき東京市電気局は、路面電車が復旧するまでの代替の移動手段として、米国のフォードにトラックシャシー800台を発注し、幌張りの粗末なボディーを架装した市バスの運行を開始した。このような震災後の自動車需要急増に対応したのは、大量生産体制により供給力と低価格の両面で優位に立つ米国の自動車ボディーであった。しかも、価格が欧州車と比べて2〜3割も安く、注文から3カ月で到着することもあり、米国への発注が圧倒的に多くなった。到着までに6カ月もかかる欧州車は市場から後退していくことになる。

 日本での自動車需要の急増を受けて、フォードは1924年(大正13年)12月に日本フォード(本社:横浜市緑町4番地、資本金400万円、現在価値で数十億円規模)を設立し、翌1925年(大正14年)3月から新子安工場で組立生産を開始した。当初は、T型フォード(左ハンドル)をノックダウン生産し、1927年からはA型フォード(右ハンドル) の生産も開始。ノックダウン生産(部品を輸入し現地で組み立てる方式)は、当時の日本では画期的であり、アジア初の本格的自動車組立工場とされる。

 また、ゼネラル・モーターズも日本GM(本社:大阪市大正区鶴町一丁目(旧東洋綿花工場跡地)、資本金800万円)を設立した。敷地1万5066坪(約4万9700m2)、建物4748坪(約1万5600m2)で、敷地北側にはテストコースも併設した。その工場の規模と設備は目を見張るもので、工場設備は全て米国本社から持ち込まれ、米国人技術者の監督の下、日本人労働者を組立作業に従事させた。1927年(昭和2年)4月から組立生産を開始。当時の日本では高品質部品の国産化が困難であったため、フォードと同様の方式で、部品を全て米国から輸入し、日本で組み立てるコンプリートノックダウン(CKD)方式を採用した。主力製品は、シボレーの乗用車/トラックで、年産は当時としては圧倒的な約1万台規模である。

 というのも、まず、フォードにおけるT型からA型へのモデルチェンジによる供給停止の問題があった。次に、日本の軍隊にも多数納入されるほどにシボレー車は耐久性/悪路走破性の高さが高評価された。そして、全国的な販売網の整備が良いなどの理由もあって、1928年にGMは年産1万5000台に達し、フォードを追い抜くほどの急成長を遂げた。

 当時の日本の自動車関係者は、「米国のフォードとGMの2大メーカーが日本の自動車販路を独占している」と危機感を抱いた。ペリーの再来のような、この外資の圧倒的存在感は、豊田喜一郎による国産自動車開発(トヨダAA型)や日産自動車の設立(1933年)を後押しする大きな要因となる。

 さて、フォードとGMの両社は1920年代の日本市場を席巻し、国産自動車産業の発展に強い外圧を与えた点で共通するが、立地、資本規模、戦略、成長速度などに明確な違いがある。

 表6に、日本フォードと日本GMとの比較表を示す。

項目 日本フォード 日本GM(日本ゼネラル・モーターズ)
設立年 1924年(大正13年)12月 1927年(昭和2年)1月
資本金 400万円 800万円(フォードの2倍)
本社/工場所在地 横浜市(守屋町→新子安) 大阪市大正区鶴町
生産開始 1925年3月 1927年4月
生産方式 ノックダウン生産(CKD) ノックダウン生産(CKD)
主力車種 T型フォード→A型フォード シボレー(乗用車/トラック)
工場規模 約4万7000m2の敷地(1925年取得) 約4万9700m2の敷地(工場建物1万5600m2
販売戦略 早期進出による市場先占 広範な販売網/広告戦略で急成長
市場シェア(1920年代後半) 初期は圧倒的シェア 1928年頃にはフォードを上回る年も
特徴 アジア初の本格的自動車組立工場 大阪市の積極誘致/大規模投資
国産メーカーへの影響 トヨタ/日産の国産化意識を刺激 販売ノウハウが日本メーカーへ移転(例:神谷正太郎)
撤退 1940年(戦時体制/法規制) 1941年(米国の対日制裁/戦時体制)
表6 日本フォードと日本GMの比較

 図3に、日本フォードと日本GMの工場全景を示す。以下に、日本フォードと日本GMの比較のポイントを見ておく。

図3 日本フォードと日本GMの工場全景[クリックで拡大] 出所:(a)<A HREF="https://ameblo.jp/retorotoys/entry-12771263549.html" target="_blank" rel="noopener">retorotoysのブログ</A>を基に修正、(b)<A HREF="https://ono-fumimachigai.com/history/6021/" target="_blank" rel="noopener">ペダル踏み間違い事故防止</A>を基に修正

1)資本規模と成長速度

  • 日本GMは資本金800万円とフォードの2倍で、より大規模な投資を行った
  • その結果、1928年にはGMがフォードを上回る生産台数を記録する年もあった

2)立地戦略

  • フォード:横浜の港湾立地を重視し、輸入部品の海上輸送に最適化
  • GM:大阪市の破格の誘致策(税免除など)を受けて大正区に進出

3)販売/マーケティング

  • GMは広告/販売網の整備に優れ、「どんな財布にも合う車」というフルライン戦略を展開(本国GMの特徴)
  • フォードはT型の大量生産方式をそのまま持ち込み、早期に市場を押さえた

4)日本の自動車産業への影響

  • 外資2社の圧倒的存在が、豊田喜一郎の国産自動車開発(日産/トヨタの誕生)を促した
  • 日本GMの販売部門にいた神谷正太郎は後にトヨタへ移り、トヨタ販売体制の基礎を築いたことでも知られる

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