もう1つ、この時期登場したものにHardWireがある。FPGAのメリットはもちろん柔軟に書き換えができることだが、その反面トランジスタの使用量はどうしても多くなるから、製造原価そのもので言えばゲートアレイには敵わない。
そこで顧客から「もっと安く量産できる方法はないか?」という声にXilinxが提供したものだ。要するにFPGA用のBitstream(ビットストリーム)をそのまま実行できるようなものだ。顧客はFPGAを使って自身の設計を行い、最終的に変更が完了した状態でそのBitstreamをXilinxに渡すと、そのBitstreamをそのまま実行できるハードウェアを製造するというもので、今で言えばストラクチャードASICの前身というかご先祖様みたいなものである。XilinxはXC2000〜XC4000シリーズに対応したHardwire製品を用意した(図10)。
図10 XilinxのHardWire Data Book(1994年版)より抜粋。ピン配置などは通常の製品と互換となっている。ただSpeed Gradeに関しては若干制約があったもようだ[クリックで拡大]もっとも、これもCartar氏によれば「一部の顧客は興味を示し、製品開発サイクルのどこかでHardWireに移行する予定だと伝えてきた。そこでわれわれはその準備を始め、顧客に『Bitstreamが確定した時点でわれわれに渡してほしい。そうすればウエハーを製造する。ただし変更は一切受け付けられないので、それ以降は変更しないでほしい』と伝えて、準備を整えた。しかし顧客のコミットメントには問題があった。まるでデートはするけれど、結婚まではしないような関係だった。彼らはコミットメントしてくれなかったんだ。Bitstreamの準備はできたと言いつつ『まだ確認事項が残っているからあと数週間待ってほしい。そうすればコミットする』という具合だ。実際にHardWireを採用した顧客はほぼ皆無だった」そうである。まぁ相当の量の数を出荷するのでなければ、HardWireを採用するメリットは少ないのは分かり切ったことであり、それもあってXC4000世代はHardWireが対応する最後の製品となった。
こうした紆余(うよ)曲折はありつつも、Xilinxは順調に売り上げを伸ばしていった。ただ当初は100%のマーケットシェアを獲得していた(単に他に競合が居なかっただけだが)同社は、1990年台に入るとシェアが下落、1993年には65%まで低下した。ちなみに2番手は18%を獲得したActel、これに大分差をつけられて3位がAlteraだった。ただし、シェアは落としてもマーケットそのものが急速に広がったこともあり、1991年度には1億3500万米ドル、1992年度には1億7800万米ドル、1993年度には2億5000万米ドル以上の売上高となり、その1993年度の純利益は4130万米ドルに達した。(次回に続く)
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