インド政府は、2021年12月に半導体政策パッケージ“India Semiconductor Mission(ISM)”を発表した。OSAT、前工程、設計(およびFPD[フラットパネルディスプレイ]製造)を統合的に支援するため、政策発表時には7600億ルピー(約1兆2700億円)規模の予算が計画された。なお、一部州政府の支援が増額されるなど、実際にはこれを上回る予算規模になるとみられる。主力の支援メニューはそれぞれのFab建設、設備投資に対する50%の費用補助だ※10)。この他、同政策の補助的支援スキームとして、電子部品と半導体製造に対する設備投資の25%を負担する補助制度も設けている※11)。
※10)2021年12月のISM発表時にはノードごとに補助率30〜50%の幅を設けていたが、2022年9月に一律50%に改訂。
※11)ただし、ISMによる支援スキームとの併用は不可とされている。
なお、2025年8月現在までにISM支援スキームに採択されたFab建設プロジェクトとしては、台湾企業とのジョイントベンチャーによる前工程Fabプロジェクトが1件承認されているものの、大半は後工程Fabが中心となっている。
現在インドでは米国企業の後工程Fabが稼働中であり、2025年後半〜2027年に現政権の首相を務めるナレンドラ・モディ氏のお膝元であるグジャラート州を中心として相次いで後工程Fabが立ち上がる計画だ。その中で前工程Fabは前述のISM支援スキームに採択された台湾企業とのジョイントベンチャー1件のみとなっている。後工程Fabについても、技術難度の高い先端パッケージングではなく、成熟技術であるパワー半導体などの組み立て/パッケージングが主流だ。東南アジアとは異なり、エレクトロニクス製造の集積が少ないインドでは、やはり半導体誘致においてもまずは成熟技術の後工程からということになろう。
インドではISM発表以前から製造業を強化する方針が打ち出されており、地場の財閥系企業による自動車やその他の機械製造の産業振興が進められてきた。こうした背景もあり、パワー半導体などのレガシー半導体の後工程を担うことに産業エコシステム上の合理性はあると考えられる。
ISMによって半導体製造への投資がにわかに盛り上がっている状況であるが、インドにおいても東南アジアと同様にFabを支える技術人材の不足は深刻だ。インド最大の学卒者の職業訓練/就業支援組織であるTeamLease Degree Apprenticeshipによれば、2027年までに25万〜30万人の技術人材が不足するとされる※12)。インドでは設計人材は比較的充足しているものの、製造プロセスの主要技術を担うエンジニアが圧倒的に不足している。
※12)The Economic Times 2024年10月17日付記事“India Inc intensifies training efforts to bridge semiconductor skills gap”を参照
こうした人材不足に対してインド政府は大学/研究機関と連携した人材育成プログラムを提供している。内容については主要施策の一つである「Chips to Startup」が5年間で8.5万人の専門スキル人材を育成するとしているが、設計人材に偏っており、現在最も人材不足が深刻となっている製造プロセス人材の育成には手が回っていない印象だ※13)。これに対して外資の装置メーカー主導で提供するトレーニングプログラムでは、Fabのプロセスに関する実践的なトレーニングメニューが組まれており、製造プロセス人材の育成策として期待されている。また、グジャラート州を中心として州政府レベルでも人材育成/誘致策が講じられている。ただ、先述の通り製造プロセス人材を中心とした不足人数は膨大であり、これらの施策をもってしても当面、人材不足は継続するとみられる。
※13)Press Information Bureau Government of India Ministry of Electronics & ITの2022年1月16日付プレスリリース“MeitY invites applications under the Chips to Startup (C2S) Program from academia, R&D organisations, startups and MSMEs”を参照
他方で、インドの半導体産業にとってのボトルネックは人材だけではない。もともと電子部品産業の集積が少ないインドでは、工業用水の供給/排水インフラや工場用の安定した電力供給網も不足している。これへの突貫的な対策として、グジャラート州ではFab誘致に伴い送配電系統の増強、産業用水の供給/貯水/排水処理施設の整備を短期集中的に実施した※14)。しかし、他の地域では依然として電力/水インフラは脆弱(ぜいじゃく)であり、こうしたインフラ整備はインドの半導体産業誘致における人材と並ぶ大きな課題といえる。
※14)RSC groupによるDholera地域電力供給プロジェクトに関するプレスリリース“ISTS Scheme Set to Strengthen Power Supply for Dholera SIR”を参照
以上、東南アジアとインドの半導体政策とその実行状況について見てきた。
世界の半導体サプライチェーンにおける、後工程を中心とした製造チェーンの東南アジア、インドへのシフトの可能性は前述の通り、地政学的な米中対立がその発端となっている。逆に考えれば今後、米中対立が緩和の方向に進むことがあれば、半導体サプライチェーンの同地域へのシフトの必然性は当然、弱まってくる。
このように米中対立は、東南アジアとインドへの後工程シフト進展の先行きを見る上で最も重要な「カタリスト(変動因子)」といえよう。そして、それ以外にも幾つかの重要なカタリストが存在する(図2)。
そのカタリストとは、インドと東南アジアそれぞれの半導体産業政策が今後どのように進展していくか、半導体サプライチェーン上での付加価値の後工程シフトを推し進める3D化の進展状況、レガシーノード生産で最大の競合となり得る中国の生産状況、用途市場を踏まえた半導体需給動向などである。ここではそれぞれの見通しについての言及は避けるが、東南アジアとインドの半導体製造投資の先行きは、これらのカタリストを個別に検討した上で、想定されるシナリオを描いておくべきだ。
世界の後工程拠点が中国/台湾から東南アジア/インドへ分散していくとすれば、日本の後工程向け装置/部素材企業にとっても主戦場が東南アジア/インドへと本格的に拡大していくことを意味する。マレーシアでは既に供給体制を敷いている企業もあるが、足元ではベトナムやインドなどの新興市場向けの供給体制整備が課題になりつつある。
ただし、これまで述べてきた通り、後工程が東アジアから東南アジア/インドにシフトする動きはここ数年の半導体産業を巡る地政学的動向と、それによる各国/地域における政策資金動員が最大の要因となっている。従って、東南アジア/インドへの進出戦略の検討においては、従来以上に米中を中心とした国際政治や各国/地域における政策の動向をより精緻に分析する必要がある。また、東南アジア/インドにおいては州/自治体レベルの方針や当地の商習慣を理解することが現地ビジネスの円滑な推進のカギとなることは言うまでもない。
次回は最終回として、ここまで紹介してきた半導体に関する直近の各国の政策に対応する技術開発の動向を分析した上で、今後の半導体市場がどのように変化していくかを考察したい。(次回に続く)
祝出 洋輔(いわいで ようすけ) PwCコンサルティング合同会社 PwC Intelligence シニアマネージャー
証券会社/投資評価会社における個別株/ファンドアナリスト、監査系コンサルティングファームにおけるリサーチアナリスト/コンサルタントを経て現職。一貫して、半導体産業を含む機械/電機/製造設備などの資本財セクターを担当。
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