トヨタの源流となる自動織機はどのような技術の変遷を経て生まれたのかトヨタ自動車におけるクルマづくりの変革(4)(3/5 ページ)

» 2025年01月28日 07時00分 公開

(5)力織機

 1785年(天明5年)に英国人エドモンド・カートライト※13)が、図6に示すように世界で最初に蒸気機関を動力として用いた力織機を発明した。これは世界初の動力式の織機である。これによってさらに生産速度は上がった。1802年頃、綿織物は毛織物の輸出を上回り、新たな英国の主力産業となった。

図6 図6 カートライトによる世界で最初の力織機

※13)エドモンド・カートライト(Edmund Cartwright)は、英国ノッティンガムシャーのマーナムで生まれた発明家。1784年に力織機を発明。1785年に特許取得。力織機以外にも1789年に梳毛機、1792年にロープ製造機、1797年にアルコール機関(水の代わりにアルコールを使用した蒸気機関)を発明。彼は、1760年にオックスフォード大学ユニバーシティカレッジに入学。1764年に学士号、1766年に修士号取得。1764年にオックスフォード大学マグダレンカレッジのフェロー。1806年に博士号学位授与。1765年にイングランド国教会の助祭に叙階。1767年にキルビントンの教区牧師。1779年にレスターシャーのゴードビー・マーウッドの教区牧師。1783年にリンカーン大聖堂の聖職者。ダービーシャーのクロムフォードにあるサー・リチャード・アークライトの綿紡績工場を見て、力機織のことに気付かなければ、おそらく無名の田舎の牧師として一生を過ごしていただろう。同様の機械を織物用に作ろうと思い立ち、カートライトは原始的な力織機を発明した。

(6)綿繰機

 1793年(寛政5年)、米国人イーライ・ホイットニー※14)が、図7に示すように綿繰機(わたくりき:コットンジン)を発明した。

図7 図7 イーライ・ホイットニーの綿繰機

 この機械は、手作業に比べて綿の種を取り除く速度を劇的に速めた。その結果、綿繊維の供給が増大し、織物産業においても原料コストを安くし、織物の価格も下げ、消費者にとって安価な製品の提供に貢献した。

※14)イーライ・ホイットニー(Eli Whitney、1765〜1825年)は、米国マサチューセッツ州ウェストボロで生まれた発明家、機械技術者。産業革命の鍵となった綿繰り機を発明し、米国南部の綿花生産を増大させ、南部の経済発展に貢献。米国の米国機械工業勃興期に小銃の製造で、互換性部分を作ることによる大量生産の方式を確立するなど経営面でも才能を発揮し、フライス盤を発明。エール大学卒業後、1792年にジョージア州サバナで、故ナサニエル・グリーン将軍夫人キャサリンの後援の下で、1793年に綿花の種子と繊維を分離する機械、綿繰機(コットンジン)を発明。この機械は木製の円筒に針を植えた模型に綿の実を通過させて種子を繊維から分離できる。1794年に特許取得たが、簡単な構造だったために模倣されて、特許は取ったものの実益はなかった。しかしこの綿繰機によって綿繰り能力は従来の50倍(のち300倍に改良)にも増大、米国南部の綿作隆盛を招いた意義は大きい。

 一方、1798年に政府と2年間でマスケット銃1万丁を供給する契約を結んだ。綿繰機の生産過程で得た機械を小銃生産に充用できると考えてのことだ。それまで小銃は職人の手仕事で作られ、小銃の各部品は相互に互換性がなかったのに対し、ホイットニーは製作工具を用い、部品を規格化し、その生産に初めて互換方式を確立した。政府への小銃供給はようやく1809年に果たされたが、互換方式そのものはフランスの武器製作所や、米国でも幾つかの簡単な工作機器で試みられており、ホイットニーはこれらをマスケット銃の生産体系に構成した。彼の互換性部品生産方式は他の機械部門にも広がり、「米国方式」といわれる大量生産方式の基本を確立した。

(7)足踏織機

 1802年(享和2年)、レードクリフ※15)は、踏木を踏むことで全ての操作を行わせる足踏織機を発明した。

※15)ウィリアム・レードクリフ(William Radecliffe、1761〜1842年)は、英国ダービーシャー州メラーで生まれた発明家。エッセイ「新製造システムの起源」の著者。1789年、ダービーシャーのメラーに大規模な綿織工場を開設。布の品質を向上させるための機械を発明することで、プロセスを合理化した。1804年、自動的に前方に動かすラチェットホイールを発明。

(8)ジャカード織機

 フランス人ジョゼフ・マリー・ジャカール※16)は、1800年(寛政12年)には足踏み(ペダル)式織機、1803年(享和3年)には漁網用織機を考案し、1804年(享和4年)には図8に示すようにパターンのある絹織物を自動的に織れる「ジャカード織機」※17)を発明した。

図8 図8 ジョゼフ・マリー・ジャカールのジャカード織機

※16)ジョゼフ・マリー・ジャカール(Joseph Marie Jacquard、1752〜1834年)は、フランスのリヨンで生まれた発明家。ジャカード織機というプログラム可能な初期の織機の開発で知られる人物。ジャカード織機は他のプログラム可能な機械の開発にも重要な役目を果たし、後のコンピュータの開発にもつながっている。

※17)ジャカード織機(ジャカードしょっき)は、1801年、フランスの発明家ジョゼフ・マリー・ジャカールによって発明された自動織機。これが生まれる歴史は、中国前漢時代に発明された空引(そらひき)機が始まりで、その技術はイタリア、フランスで発展し、1725年にバジル・ブション(Basile Bouchon)が穴の開いた紙テープのような紋紙を使用する装置を考案し、ついでジャン=バティスト・ファルコン、さらにジャック・ド・ヴォーカンソン(1709〜82年)によって自動化が進められ、1801〜04年にジャカールが彼らの装置を改造、さらに発展させ、今日のジャカードの基本技術を作り上げた。

 これらのように、ジャームズ・ワットの蒸気機関の発明に端を発する産業革命を背景として、手工業から家内制手工業、工場制手工業という具合に小規模の作業場は大規模な工場へと置き換わっていった。工場では、上述した力織機が開発され、工場制機械工業への移行が進み、機械を管理しながら効率的に大量生産するシステムが構築されることで、生産性はさらに高まった。また、労働者が一箇所に集まることによって、コミュニティーが発生し、労働力の組織化が進み、効率的な労働分担や専門技術の発展も促進された。このように、工場制機械工業の台頭は、産業構造だけでなく、社会経済全体にも大きな変化をもたらした。

 要約すると、18世紀末の英国の産業革命は、軽工業の進展、特にその中核を成す織物産業を激変させた。そしてその産業革命は織物産業の技術革新をもたらし、機械紡績、力織機の発明は、手工業だった織物生産を機械化し、大量生産可能な産業へと一変させた。この英国産業革命による織物生産の生産効率の飛躍と変化は、日本に多大な影響を与えたのである。

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