2週間で砂漠を疾走するダカールラリーは、電動化技術を磨く過酷な実験室にモータースポーツ超入門(12)(1/3 ページ)

1月1〜14日に行われた2022年大会では、世界的な脱炭素化の流れを受け電動マシンが初登場し、大自然を舞台にするダカールラリーは新たなステージに入っている。

» 2022年02月18日 06時00分 公開
[福岡雄洋MONOist]

 パリ・ダカールラリー、通称「パリダカ」。現在は主な競技ステージが設けられていたアフリカ大陸を離れ、名称も「ダカールラリー」となっているが、今でもパリダカという呼び名はなじみ深い。もともとはフランスのパリをスタート地点、セネガルのダカールをゴールとしたラリーレイド競技で、灼熱の砂漠やジャングルなどを駆け抜ける世界一過酷なモータースポーツとして知られている。

 日本では三菱自動車(三菱自)が活躍した歴史もあり、モータースポーツとしての認知度は高い。1月1〜14日に行われた2022年大会では、世界的な脱炭素化の流れを受け電動マシンが初登場し、大自然を舞台にするダカールラリーは新たなステージに入っている。

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現在はパリもダカールも関わらないルート

 ダカールラリーの起源であるパリダカは、フランス人冒険家のティエリー・サビーヌ氏が発案し1978年に始まった。例年1月1日(または前年12月末)にパリを出発し、約2週間をかけてダカールに向かう長丁場の競技日程が組まれているのが特徴だ。

1985年のパリダカのルート[クリックで拡大] 出所:三菱自動車

 連日連夜走り続けるわけではない。毎日、宿泊地である「ビバーク」をスタートし、次のビバークを目指す1日単位のレースを繰り返す。1日で走行する区間は「ステージ」と呼ばれ、移動区間の「リエゾン」と、競技区間の「スペシャルステージ」で構成されている。

 スペシャルステージでタイムを競い、全ての日程が終了した後で、全ステージのタイム合計に、時間換算されたペナルティーが加わり、総合結果が決まる仕組みとなっている。

 ダカールラリーのルート設定は、歴史の中で変更を繰り返してきた。1992年大会では初めてゴールがダカールではなく南アフリカのケープタウンに設定されたが翌年にはダカールに戻った。スタート地点については1995、1996年にスペインのグラナダに変更。1997年大会はスタート、ゴール地点ともにダカールに設定されたが、1998年には再びパリをスタート、ダカールをゴールとするルートに戻されている。

 パリがスタート地点だったのは2001年大会まで。2003年大会はパリとダカールを起終点としないルートが設定された。2009年大会からはアフリカでの政情不安を理由に、開催地自体を南米アルゼンチンからチリに回るコースに変更した。2012年にはアルゼンチン/チリ/ペルーの3カ国を通るルートに改定。2019年はペルーでの1カ国開催、2020年からは中東サウジアラビアへと舞台を移している。

「パリダカと言えば三菱」、砂漠の王様の活躍

 2022年で44回目を迎えたダカールラリーだが、日本における知名度は1983年に参戦を始めた三菱自「パジェロ」の挑戦と活躍によって高まったといっても過言ではない。2009年に撤退するまで26回参戦(2008年大会はテロ襲撃の可能性があったため中止)。2000年からの7連勝を含む通算12勝を挙げ、「パリダカと言えば三菱」とのブランドイメージを構築。パジェロは砂漠の王様として君臨し、その名は世界中に知れ渡ることになった。

2008年大会に参戦した三菱自動車「パジェロエボリューション」[クリックで拡大]

 27年にもわたる長期参戦と通算12勝を支えたのが、三菱ワークスとして年々進化させてきた車両技術だ。初参戦となった1983年は、改造範囲が限られる市販車無改造クラスに参戦。キャンバストップ仕様のパジェロを投入した。

 この時搭載した排気量2.6l(リットル)の「4G54型」ガソリンエンジンは、三菱自 京都製作所のエンジン研究開発部門が吸気排気系などをチューニング。車両はフランスで三菱車の輸入代理店を務めるソノートが契約するレーシングガレージにおいてボディーやサスペンションを強化し、ロールゲージなどを装着してラリー車に仕上げられた。パジェロのデビュー戦はクラス優勝を達成。総合でも11位に入る健闘を見せた。

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