1.6リッターターボと4WDで白熱したWRCは、PHEVと合成バイオ燃料で新時代へモータースポーツ超入門(8)(2/3 ページ)

» 2021年07月26日 06時00分 公開
[福岡雄洋MONOist]

「市販車ベース」が基本だが、モンスターマシンも生まれた

 約50年の歴史をもつWRC。現在、自動車メーカーが参戦する最上位クラスは「WRC」で、これまで幾度かの変更を経て、現在の車両規則「WR(ワールドラリー)カー」を使用するルールが適用されている。

 WRカーは市販車をベースに大幅な改造を加えたWRC専用マシンだ。年間2万5千台以上を生産する車両がベースとなっているが、駆動方式の変更やワイドボディー化、ターボ装着など改造範囲の自由度が高い。そのため、WRカーはベース車両とは大きく異なり、高出力のターボエンジンやシーケンシャルトランスミッション、アクティブセンターデファレンシャル、大型エアロパーツなどが装着されている。

 現在のWRカーに至る車両規則は、WRC創立当初のグループ4からグループB、グループAへと受け継がれてきた。グループ4は1973年のWRC設立から10年間、1982年まで採用された国際車両規則で、規則自体は1966年にFIAが規定したものだ。過去12カ月のうち最低500台(のちに400台)が製造された車両をベースにしており、「アルピーヌ・ルノーA110 1800」や「ランチア・ストラトスHF」などが有名だ。

 1983年から採用されたのがグループBで、いわゆるモンスターマシンの時代だ。ベース車両の生産台数は200台に引き下げられ、さらに20台のラリーカーバージョンを生産すれば公認が得られる規則だった。これにより市販車ベースながらも実質的にはレースマシンに近い車両が使用されることになった。「プジョー・205ターボ16」や「ランチア・デルタS4」はその代表的なマシンだ。プジョー・205ターボ16はターボ付きエンジンをミッドシップに配置し、駆動方式は4WDに変更。ランチア・デルタS4はターボチャージャーとスーパーチャージャーの2種類の過給機をもつエンジンを備え、車両重量は890kg、4WDで高い戦闘力をもつマシンだった。

 ただ、車両重量1トンを切る車体に500馬力を超えるエンジンを搭載したモンスターマシンにより、死亡事故が相次いで発生。1986年をもってグループBによるWRCは中止となり、もともとグループBに次ぐクラスだったグループAがWRCのトップクラスとして昇格することになった。

セリカ、インプレッサ、ランエボ……日本車が席巻したグループA

 1987年から適用されたグループA規則では、ベース車両は過去12カ月で5000台(のちに2500台)以上生産されていることが条件だった。ただ、グループBとは異なり、エンジンやサスペンション、ボディーなどの改造は規制され、市販車に近いマシンで参戦することが求められた。つまり、ベース車両そのものの性能が極めて重要なクラスとなり、その結果、高性能な4WD車を持つ日系自動車メーカーがWRCを席巻する時代が訪れることになった。

 トヨタ自動車は「セリカ」、富士重工業(現スバル)は「インプレッサ」、三菱自動車は「ランサーエボリューション」で参戦。とくに1990年代後半は日本車がドライバーズタイトル、マニュファクチャラーズタイトルを総なめする日本車黄金時代を築いた。

富士重工業(現スバル)の「インプレッサWRC」。1997年に導入されたWRカー規定に合わせて投入された。スバルは2008年までWRCに参戦した(クリックして拡大)

 グループAはベース車の基本性能が重要となるだけに、実質的には排気量2l(リットル)のターボエンジンと4WDを組み合わせることが勝つための前提条件となっていた。ただ、このようなベース車のマーケット規模は小さく、商品として量産している自動車メーカーは限られるのが実情だった。この打開策として1997年に導入されたのが、現在につながるWRカー規定となる。これにより、高性能4WD車を持たなくとも参戦可能となったため、欧州自動車メーカーを中心にWRCへの参戦が相次いだ。日本勢ではスズキが「SX-4」で2007年、2008年シーズンに挑戦した。

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