ちなみに到達距離は当然速度との兼ね合いであるが、1ストリームの場合はフルスピードがでるのはおおむね300m未満、750mまでは大体半分程度、1Km超だとさらに半分で、理論上は1500mを超える程度まで通信が可能という見積もりが出ている。しかしこれは、多分に甘いというか条件が良い場合の話で、実際にはこの半分くらいの距離になるだろうという見方もある。
一方MAC(メディアアクセス制御)層に関しては、帯域が減るので効率性を多少改善しないといけないという判断で、幾つかの追加機能がある。例えばNDP(Null Data Packet)は、制御フレーム(Control Frame)を送る際の効率を改善するもので、従来のACK(Acknowledgment)だとデータフレームの20%を占有してしまうところを、NDP ACKにすれば6%まで減らせる。また、場合によってはACKを返すこともオーバーヘッドになるので、802.11nで追加されたRD(Reverse Direction Protocol)を拡張したBDT(Bidirectional TXOP)を搭載し、データ交換時にACKを省くことで効率を改善している。
効率性とは別の面での拡張もある。802.11では従来STA(1つのデバイスに接続できるノードの上限)が2007になっていたが、802.11ahではこれが8000以上に拡張された。例えば、802.11ahを搭載したセンサーノードをばらまいて使う、なんてケースでは膨大なデバイスが存在することになるので、これを拡張している。もちろんこんなに多くのデバイスがつながると、当然干渉が増えることが予測されるので、これに対応してRAW(Restricted Access Window)の構造を少し変更している。
省電力に関しても工夫が行われた。従来、Max Idle Period(最大待機時間)は16ビットで示されており、単位は1024msなので、最大待機時間は18時間38分ほどになっていた。これに対し802.11ahでは、16ビット幅は変わらないものの、先頭2ビットを指数とし、1/10/102/104として定義した。結果、最大だと1.024×16383×104秒≒5.3年という、ここまで長いと実用性があるのか? という気はするのだが、それはともかくとして非常に長いIdle Periodを指定できるようになった。
これまでだと1日に1回以下の指定が不可能だったわけで、これは大きな改善である。他にも、IoTデバイスにとってビーコンの受信と解釈の消費電力が大きくなりすぎる、ということで少し仕組みを変化させている。具体的にはTWT(Target Wake Time)という機能を追加しており、このTWTの間隔でしかビーコンを受信しない様にすることで、消費電力を抑えるという仕組みだ。
ところでWi-Fiの場合は、基本的にはピアツーピアでアクセスポイントとデバイスがつながる形だが、IoTデバイスでは設置場所の関係などもあるし出力も低めだから、必ずしも直接接続できるとは限らない。ZigBeeやThreadなどは、このためにマルチホップ(Multi-Hop)の機能を仕様に盛り込んでいる。さすがにIEEE 802.11ahでは、マルチホップそのものをデバイスに持たせることは無理だった様だ。
その代わりにRelayと呼ばれる中継用のルーターの機能を仕様化している。もともとRelayそのものはIEEE 802.11に含まれているもので、製品としてもRange Extenderなどの名称で広く売られており、これを使うことで直接到達が難しい場所に対応しよう、という話だ。
また1台のルーターに数千ものデバイスが接続されていると、仮にルーターが再起動した場合には全てのデバイスと再接続が必要になり、これで帯域が輻輳(ふくそう)を起こす可能性がある。これに向けて、Centralized Approarch(ルーターがランダムに番号を選び、その番号に該当するデバイスを順に再接続する)とDistributed Approach(おのおののデバイスがランダムの時間待ってから接続を行う。失敗したら、待ち時間を増やして再度繰り返す)の2つが現在検討中という話であった。
細かい話は他にも幾つかあるが、そんな訳で既存のIEEE 802.11の資産を(PHYを除くと)最大限活用して、IoTデバイス向けの規格に仕立てた、というのがIEEE 802.11ahというわけだ。
実のところ、PHYを除くとMAC層から上は既存の802.11のものをちょっと手直しする程度で対応可能だし、その上の機能(例えばWPA2とかWPSなどのセキュリティ機能)は全く同じように使えるので、Wi-Fi機器と同じ使い勝手が維持できることになる。
そんなわけでWi-Fiアライアンスとしては、このIEEE 802.11ahことWi-Fi HaLowは、まずスマートホームとかスマートファクトリーから普及が始まると見ているようだ。というのは、これらには既にWi-Fiのアクセスポイントがあり、バックボーンとの接続も当然済んでいる。だからこそ、アクセスポイントをWi-Fi HaLow対応のものに替えるだけですぐに利用できるからだ。既存の資産をそのまま生かす、というシナリオには非常に適しているだろう。
最大の課題は、現時点でまだデバイスやアクセスポイントに対応した製品が1つも存在せず、規格しかないということになるだろう。もう1つの課題として挙がるのが、ISMバンドでの競合である。
まず前者の課題については、多くのメーカーが他のLPWA規格を志向しており、これと競合するWi-Fi HaLowに関しては様子見という感じになっている。また、Wi-FiをIoTに向けて推進している旧ブロードコム(Broadcom)、現サイプレスセミコンダクタ(Cypress Semiconductor)の「WICED」も、筆者が知る限りWi-Fi HaLowに関しては特に動きがない。このあたりの動きがもう少し見えてこないと、市場がどうなるかが予測しにくい。もっともいまだに規格がドラフト案の段階にあることも、ここには影響しているのかもしれない。
後者の課題であるISMバンドを使うことに起因して、「現実的に使い物になるのか」の見極めもまだついていない。ISMバンドは、理論上は周波数が低いから遠くまで通信波が飛びやすいのだが、その反面非常に「汚い」周波数帯でもある。さまざまな機器が免許なしで使える周波数帯なので、実際にここで通信しようとすると干渉などが相当起きることになると予測される。こうした干渉に対する策を一切講じないままで使い物になるのか、もしくは何らかの対策が必要なのか、というあたりも現状では判断できない。
そんなわけで、実際に製品が世の中に出てくるまでにはまだちょっと時間がかかりそうなのが、IEEE 802.11ah/Wi-Fi HaLowという規格なのである。
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