「奇跡の一本松」を保存した生物研究所が乳がん触診シミュレーターを開発した理由イノベーションで戦う中小製造業の舞台裏(11)(2/3 ページ)

» 2016年12月01日 10時00分 公開
[松永弥生MONOist]

世界初のハモの骨格標本

 例えば、京都の料亭から鱧(ハモ)の骨格標本を依頼されたことがある。

 ハモは京料理の代表的な食材だ。長くて硬い小骨が多いため、細かく包丁を入れて小骨を切断する「骨切り」という独特の下処理が必要だ。京料理の板前は、ハモの骨切りができるようになれば一人前といわれるそうだ。

 ところが、ハモの骨格がどのようになっているのか、誰も知らない。図鑑にも掲載されていない。

 人は見たことのないもの、見えないものに興味を持つ。お客さんに「なぜこう切るの?」と尋ねられても、板前さんもハモの骨格を見たことがないから答えられない。

 最初は剥製を扱っている企業に打診したが、どこに相談しても「できない」と言われたそうだ。剥製の場合、身を取り出した時に骨がバラけるので資料がなければ元に戻せないのだ。

 何年も作りたいと思い続け、自然史博物館の方から紹介を受けて吉田生物研究所に相談に来たという。

 X線を撮ったり、骨だけを染色してみたりして、形状や配列を確認したそうだ。キレイにバラして漂白したあと、1本ずつ結合していった。歯だけでも360本以上あり、再現するのに2年以上掛かったそうだ。

 世界初のハモの骨格標本は、メディアにも取り上げられた。

「人は見たことのないものを見たいと思う」世界初のハモの骨格標本 「人は見たことのないものを見たいと思う」世界初のハモの骨格標本(クリックで拡大)

「奇跡の一本松」を防腐技術で屋外に保存

 吉田生物研究所の玄関脇には、さまざまな標本が展示されている。

 巨大なシーラカンスに、魚介類。稲、苔、大根、イチゴ、花。巣を張った蜘蛛。本物のようにリアルなのは、本物だから当然だ。

 けれど、乾いたらしぼんでしまうはずの苔が青々とみずみずしい姿を保っているのを見ると不思議な気持ちになる。

みずみずしい苔の標本 みずみずしい苔の標本。博物館などのジオラマに需要があるという(クリックで拡大)
植物は、根にも特長があるため全草を標本にして三重県の大台ケ原に自生する植生を残したいという依頼に応えた 植物は、根にも特長があるため全草を標本にして三重県の大台ケ原に自生する植生を残したいという依頼に応えた(クリックで拡大)
稲の標本 稲の標本。品種による差異を見せるために根から穂先までを標本にしている(クリックで拡大)

 稲は、上野にある国立科学博物館から「日本の固有種を全て展示したい」という依頼があり製作したものだ。品種による違いを根から穂先まで全てを見せたいという希望だ。

博物館の企画展で田んぼを再現したときは「ゆきひかり」「きらら」「農林○号」など30種類くらいを展示したことがあるそうだ。

 このときは、農協関係の方が展示を見て驚き「なぜ水がないところに稲が生えている」と質問が相次いだ。標本だと気付かずに、疑問を持たれたようだ。学芸員の方が何度も保存処理の説明をしたが、展示期間の終盤には「これに関する質問は吉田生物研究所にお問い合わせください」と異例の張り紙をするくらいに質問が多かったという。

 植物に含まれる水分を樹脂に置き換えているため、大根を持つと驚くほど重い。その重みで「標本なんだ」と実感した。

 吉田生物研究所の防腐技術が応用された例で有名なのが、陸前高田市気仙町の高田松原跡地に立つ「奇跡の一本松」だろう。2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による津波の直撃を受け、周囲の松の木がなぎ倒された中で、立ったままの状態で残った松の木だ。

 震災からの復興や希望を象徴するとして保護する活動が続けられたものの、根が腐り枯死と判断されたため、プロジェクトチームを組みモニュメントとして残すことになった。室内で展示されている文化財であれば空調設備が整っているが、一本松は野外の大型展示物だ。海辺で風雨にさらされる環境にどう耐えるのかが難しかったという。

 奇跡の一本松が話題になると、同じく被災地の気仙沼から「龍の松」も同じ技術で残したいと依頼があった。伏見稲荷大社の「根上りの松」の保存にも同社の技術が使われた。「今までやってきた技術を応用し、屋外環境に対応できるように技術を付加したことで文化財以外の分野にも事業が広がりました」と浩一氏はいう。

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