中国は「訴訟大国」? 日本企業がパテントトロールの被害にあう可能性は中国の知財動向を読む(2)(2/2 ページ)

» 2012年09月07日 12時00分 公開
[西内盛二/北京北翔知識産権代理有限公司,@IT MONOist]
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中国における実用新案権侵害訴訟の実態は?

 以上は中国の人民法院が公開している統計データに基づく分析ですが、中国における知財訴訟の実態を把握するためには、より詳細な分析が必要となります。そこで、今回は実用新案権侵害訴訟について、「北大法宝」というデータベースを使って分析した結果を紹介したいと思います*。

* 北大法宝 中国で最も収録率の高い判例データベースの1つで、北京大学によって管理されています。ただし、同データベースの知財紛争事件の収録率は、実際に出された判決、裁定などの5分の1〜6分の1程度に過ぎません。このため、収録データに偏りがあった場合、表2〜4の結果が実用新案権侵害訴訟の全体像を反映していない恐れがあります。http://vip.chinalawinfo.com/


 表2は実用新案侵害事件における処分の内訳を示す表です*。なお、同表において、原告勝訴とは少なくとも差止請求が認められた場合をいい、差止請求が認められ、損害賠償が認められなかった場合のような一部勝訴も含まれます。同表の結果から実用新案権侵害事件における原告の勝訴率は20%弱であることが分かります。

件数 比率
原告勝訴 111 18.6%
原告敗訴 59 9.9%
取下 342 57.2%
調停 67 11.2%
その他 19 3.2%
合計 598 100.0%
表2 実用新案侵害事件における処分の内訳

* 2012年5月21日の時点でデータベースに収録されていた2009年から2012年までに人民法院によって受理された事件について算出しています。以降、表3および表4についても同様です。


実用新案侵害事件はほとんどが中国人当事者同士のもの、個人実用新案権者の動向に注目

 表3は実用新案侵害事件における原告および被告の内訳を示す表です。なお、表3の、当事者の各分類は、当事者である個人の氏名、法人の名称および法人代表者の氏名に基づいて行っています。純粋な意味での渉外事件(=当事者に外資系中国子会社であるものを含まない事件)については、法人の名称や法人代表者から、かなりの確度で外国当事者として特定できていると思いますが、今回は法人の名称などに基づく詳細な追跡調査(外資系であるか、中国独資であるか)は行っていないため、ほとんどの外資系中国子会社を「中国法人」としてカウントしています。

 同表から分かる実用新案侵害事件はそのほとんどが中国人当事者によるものであり、外国法人が絡むものは0.2%と非常に少なくなっています。また、まだ初歩的な評価しか行えていませんが、今回調査したデータの範囲では、外資系中国子会社が被告になっているものは全体の5〜10%程度と思われます。

 また、同じ表3から分かるように、中国の個人が実用新案権を行使した事件が全体の60%以上を占めており、中国実用新案侵害事件においては中国個人の動向に注意しないといけないことが分かります。

原告−被告 件数 比率
中国個人−中国個人 120 20.1%
中国個人−中国法人 244 40.8%
中国個人−外国法人 1 0.2%
中国法人−中国個人 53 8.9%
中国法人−中国法人 255 42.6%
中国法人−外国法人 0 0.0%
事件数 598
表3 実用新案権侵害事件における原告および被告の内訳

意外と低い実用新案権侵害における損害賠償額

 表4は実用新案権侵害事件における損害賠償額の内訳を示す表です。意外にも平均賠償額は7万7570元(約97万円)と少額になっています。実用新案権侵害訴訟の一審判決で3.3億元(当時のレートで約50億円)もの賠償請求が認められた「正泰 vs. シュナイダー事件」*が例外的なものであることが分かります。

*正泰 vs. シュナイダー事件 正泰集団が、仏シュナイダーエレクトリックの現地子会社である施耐特に対して起こした実用新案特許権に関する紛争のこと。正泰集団は中国の工業電器メーカーの1つ。2009年に施耐特側が1.6億元(当時のレートで約23億円)を支払う和解が成立した。金額が高額であったことから、大きな話題となった。


 無効審判において優秀な中国代理人に依頼する場合、少なくとも上記平均賠償額以上の代理人費用が掛かります。実用新案侵害事件における原告の勝訴率約20%と併せて考えると、実用新案権に基づいて権利行使した場合に原告が実質的に獲得できる金額の期待値はかなり低いといっていいでしょう(ただし、和解による取り下げなどを考慮すると原告が実質的に「勝った」といえる事件の割合は20%より若干高くなるものと思われます)。

金額 件数
50万0001元〜 0
30万0000〜50万元 3
10万0001〜30万元 18
5万0001〜10万0000元 16
3万0001〜5万元 25
1万0001〜3万元 32
5001〜1万元 4
1〜5000元 1
合計 99
平均賠償額(元/件) 7万7570
表4 実用新案権侵害事件における損害賠償額の内訳

 中国で事業を行っている日本企業の中には、実用新案権に基づく警告状を受け取ったことがある企業も多いと思います。表2〜4のデータは、そのような場合に実用新案権者との交渉を有利に進める1つの判断材料として活用できるのではないでしょうか。

新たな特許法改正の動き

 ところで、現在、中国では新たに特許法改正の動きがあり、2012年8月10日に改正草案が公開されています。この草案では、エンフォースメント(法的権利行使)面の強化に重点が置かれています。例えば、下記のような懲罰的賠償制度の導入が検討されています。

特許法改正(意見募集稿 2012年8月10日公開)

第65条第3項 故意に特許権を侵害した行為に対し、特許業務管理部門又は人民法院は侵害行為の情状、規模、損害結果などの要因に基づき、前二項により確定された賠償額を最高3倍まで引き上げることができる。

大量の実用新案権×懲罰的賠償制度=パテントトロールの温床?

 表4で説明したように、現状では、実用新案権侵害訴訟を提起しても賠償額の期待値は低く、代理人の代理費用さえ確保できない場合がほとんどです。しかし、上述したような懲罰的賠償制度が導入されると、中国代理人が成功報酬目当てで着手金を取らずに個人や中小企業をそそのかして権利行使するケースも想定されます。また、賠償額の増加は中国におけるパテントトロールの活動を活発化させる恐れもあります。法制度改正の動向は注視しておくべきでしょう。

プロパテント時代の到来を見越した中国知財戦略の必要性

 権利の安定性が低い実用新案権が大量に存在する中国の現状では、懲罰的賠償制度の導入はかえって健全な産業の発展を阻害する可能性があります。

 個人的には懲罰的賠償制度の導入は時期尚早のように思いますが、仮に、懲罰的賠償制度が最終的に導入されなくても、今回の特許法改正は、中国特許実務の大きな転換点となると考えられます。

 今後の中国事業では、模倣品対策の面ではやりやすくなることが予想されますが、これまで以上に膨大な特許出願に対していかに効率的にパテントクリアランスを行うか、中国の実情に合わせた特許網をいかに構築するかなど、プロパテント時代の到来を見越した新たな中国知財戦略の策定が必要になってくるでしょう。

筆者紹介

西内盛二(にしうち せいじ)

高知県出身、日本弁理士(2003年登録)。

2006年より中国特許事務所で中国知財実務に従事。現在、北京北翔知識産権代理有限公司の高級顧問。中国特許事務所で働く日本弁理士の視点から最新の中国知財情報を発信します。



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