元気な中小企業には元気な理由がもちろんある。CI、新規業界への参入、町工場でもできるITカイゼンなどで、いまの元気な由紀精密を作った1人にみっちりとお話を聞いた。
MONOist「メカ設計」フォーラムで注目を集めた記事「全国のモノづくり屋が集まった超本気のコマ対決」で、加工技術の粋を見せ、見事優勝した「由紀精密」。こちらの記事では日本のモノづくり力を面白く世に伝えたわけだが、今回はちょっとまじめに中小企業・由紀精密のスゴさを紹介したい。
由紀精密は神奈川県茅ケ崎市の工業団地の中に立地する。多くの加工工場がひしめきあう場所だ。
「以前は国内大手電機メーカーのサプライチェーンに連なる部品メーカーとして、計測器やコネクタなどの部品を大量に受注していました」
こう語るのは今回取材を受けていただいた由紀精密 最高情報責任者(CIO)兼開発部システム開発室室長 笠原真樹氏だ。
同社は「町工場としてはそこそこ歴史が古い会社」(笠原氏)で、設立は1961年7月。和暦でいえば昭和36年。Wikipedia日本語版でこの年の情報を探ると、ユーリ・ガガーリンが「地球は青かった」と言い、坂本九が「上を向いて歩こう」と歌っていたころだ。現在の社長の父上が1950(昭和25)年に創業した会社が前身であり、それを加えると62年の歴史がある。
設立当初から、国内の電機メーカー向けの部品製造を行ってきた。
笠原氏はソフトウェアメーカーを経てこの由紀精密に参加した人物。学生時代は大学院まで機械工学を専攻しており、CFRP(炭素繊維強化プラスチック)の構造解析を専門に取り扱っていた。学生時代はJAXA(宇宙航空研究開発機構)で基礎研究に参加したこともある。
「その当時、専攻が機械工学で、構造解析のモデリングにCADも使っていました。ですから多少の知識はありました。でも、ここに入ったのは全然別の理由です」
笠原氏が由紀精密に参加したのは2006年。
「会社の事務方として生産管理全般の業務をこなすことになったのです。ですから、最初は前任者の作業をトレースしながら中の仕組みを学んでいきました」
入社からほどなく、材料のトレーサビリティに関する要求が厳しくなってきた。発注側メーカーがRoHS指令への対応を迫られていた時期だ。
RoHS指令などの概略は過去の記事でも紹介しているので、そちらを参照していただくとして、製品の含有物質量の申告は、原材料メーカーから、原料の配合などの資料や懸念物質の含有量などの情報を得て、それを正確に納入先に伝達しなければならない。
納入先から、最終的な完成品メーカーまで、この情報の流れをつなぎ、晴れて製品は各国法規制をクリアした製品として認証される。
おおよそ、鋼材メーカーや完成品メーカーは事業規模が大きいことがほとんどで、規制への自社内だけでのシステム対応は非常に迅速に進んだが、中間に位置するサプライヤがこれに対応するのは、非常に困難なことだったはずだ。
中間に介在する部品加工メーカーなどは、由紀精密のように、小規模で、大掛かりなシステム投資はできない場合が多い。加えて、納入先ごとに申告が必要な情報が異なっていたり、そもそも納入先選定のルール自体も各社が独自で策定していた。
結果、中間業者が納入帳票の管理、提出帳票の管理に追われ続けることになった。他の取材で聞いたことだが、REACH規則、RoHS指令への対応は調達・購買部門にとって「地獄のようだった」という。連日、書類を作成し、規制ルールが変更になればそれに対応し……という日々だったという。
笠原氏ら由紀精密も、他の川中のサプライヤ同様、いきなりシステム化ではなく、まずアナログな環境で情報整理を進めた。
「業務がどう進んで、どんな情報がどう必要になるのかも分からなかったですし、仕入れ部材の書類も紙ベースだったのです。まずは業務全体の流れを把握しながら、システム化のアイデアを温めていた時期です」
笠原氏は前職時代、CRMシステムなどの導入に関わっていた。要件や仕様を決定するためのスキルは持っていた。ただ、いきなりIT投資をして大企業のような高価なパッケージを導入するのは非現実的だ。
由紀精密が取り扱うモノと情報を管理するレベルであれば、自前でどうにかできるのではないかと考えていたそうだ。だからアイデアをあたためながら、紙の帳票ベースで仕入れ先から情報を得て、納入先に提出する手法でも十分だった。
といってもそれは、最初の数年だけだった。最初は大手数社の要求だったものが、2007年ごろにはほぼ全ての取引先から環境規制対応のための書類を要求されるようになる。このころには人力での処理に限界が見えてきたこともあり、システム化を決定することになったという。
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